未来塾通信21


続・塾教師四半世紀

■25年前、塾の教師しかできないだろう、塾の教師でもやってみようかと始めた塾でしたが、いざやってみると結構楽しかったのです。まず、学校のようにカリキュラムに縛られることがありません。本当の知は、既成概念に縛られず、権力におもねず、伸縮自在で、どこまでも自由で伸びやかに広がっていくもので、破天荒なエネルギーを秘めているはずだと思い込んでいました。それで、勉強を祝祭のようなものに変えられれば面白いのではないかと考えてあれこれ工夫をこらしました。当時読んでいた南方熊楠や宮沢賢治の影響を受けていたのでしょう。夕方になって子どもたちがチャイムを鳴らして六畳一間の教室に元気よく駆け込んでくるのを心待ちにするようになっていたのです。もちろん、家計は相変わらず火の車です。妻がよく我慢してくれたものだとつくづく思います。

 私の場合、父の死が転機となってやむを得ず始めた塾でしたが、食うや食わずを十年覚悟すれば、その後の職業につながる技術を身につけることもできるし、苦境を乗り越えたことが自信になって、人間はなんとかなるものだと思いました。将来に対する漠然とした不安と向き合い、食うや食わずの生活を覚悟できれば、今の若者も自分のやりたいことができるし、その能力もあるのです。ただ、みんな食うや食わずが嫌なだけです。一方で、食えないことを糧にできるのも若さの特権です。食えない方が、夢がはっきり見えることもあるのではないでしょうか。だからといって、私は若者に「夢を追い続けることの素晴らしさ」を説く気にはなれません。むしろ夢を断念することの勇気とそこから開ける可能性について話したいと思っています。

 とまれ、職業の話はまた別の機会にしましょう。(未来塾通信22「働くことと学ぶこと」)今回は、25年の塾教師生活の中で、鮮やかに記憶に残っているエピソードを書いてみます。あれは塾を始めて2年目のことでした。私は31歳だったと思います。小学校6年生の英語の授業が終わった後、数人の男の子と座敷で相撲とプロレスごっこに興じていました。子ども達全員が私の上に馬乗りになったり、キックボクシングのまねをして相手を追いかけまわしたり、みんな大はしゃぎです。その中にT君という生徒がいました。塾に置いてあったミヒャエル・エンデの『モモ』や『はてしない物語』を借りて一気に読み終える、とても聡明な子どもでした。私は彼の読書力をこのまま伸ばしてあげたいと考え、読んだ本の感想を聞いたり、面白い本を紹介して将来を楽しみにしていました。お母さんからも「うちの子どもは先生のことが大好きです」と聞いていました。T君は礼儀正しく、お母さんにきちっと躾けられていましたが、反面、窮屈な服を着せられているようで、私は彼の能力を伸ばすためには、ぎこちない身体をもっと自由に動かす機会が必要なのではないかと考えて、前述のような遊びをしていたのです。私に後ろからキックを浴びせたT君を捕まえ、馬乗りになって、わき腹を指先で何度か突きました。もちろん力は加減しています。私に組み敷かれたT君の顔は見る間に赤くなり、泣きそうになりました。男の兄弟がいてケンカをしていればよくあるシーンなのですが、彼にはショックだったのでしょう。下から私にツバを吐きかけ、普段とは様子が違ったので私は彼を解放しました。その瞬間、彼は立ち上がって絶叫しました。「お前なんか、たかが塾の教師のくせに!お前なんか、たかが塾の教師のくせに!」。

 今となっては、彼のことばをいかようにも分析することは可能でしょう。あのときのT君は、自分の中で築き上げていた私に対する信頼が、思いもよらぬ形で裏切られたと感じパニックに陥って、衝動的・反射的にことばを吐き捨てたのだと思います。しかし、そのときの私はひどくショックで、彼が身体の奥から絞りだすように叫んだことばが一瞬理解できませんでした。「子どもは本来善」などという甘い人間認識は持っていないつもりでしたが、小学校6年生の子どもの中に、職業の社会的なヒエラルキーに対する意識が見事に内面化されていて、それを怒りを込めて吐き出したことに、私は驚きそして傷つきました。

 T君はどんな表情で帰宅したのだろうかと心配になり、私は家に電話して事のいきさつを話し、自分の配慮が足りなかったことを詫びました。お母さんは物のわかった人で、翌日たずねてきてくれました。「先生がどんなに気にしないとおっしゃって下さっても、息子の吐いたことばは許されるものではありません。私が先生の立場だったら、息子を許すことができません。ですから先生もきっと息子を許すことができないと思います」というお母さんの正直で直截的な物言いを、今でもはっきりと覚えています。T君はそれっきり塾には来なくなりました。

 教師と生徒という社会的な役割から降りて、人間として向き合わざるを得ない場に相手を引きずり出すことばがあります。生徒だから、子どもだから許そうとしても、人間として許せないこともあります。逆に、子どもから見ると、相手が教師であっても、いや教師だからこそ、どうしても許せないと思う場合もあるでしょう。教師−生徒の垂直的な関係は後景に退き、男女の恋愛関係のもつれに似た愛憎が前面に出てきます。そうなると収拾がつかず、お互いが傷ついた心を抱えたままがまんするしかありません。だから人は、社会的に割り振られた役割の中に自らの欲望や怒りを押し込め、人間同士が裸で対峙しないようにしているのです。

 あのままT君が塾に通い続けていたら、私は彼を本当に許すことができただろうか。相手は小学校6年生なのだからと自分に言い聞かせても、それでも彼のことばが私の狭量な心に小さなトゲのように刺さっていたのではないか。何事もなかったかのように、私は彼の能力を認め、それを伸ばそうと心を砕いただろうか。この問いにイエスと答える自信は当時の私にはなかったと思います。私はT君のお母さんに心の中をすっかりのぞかれたと同時に、私の人間としての許容量も測られてしまった気がしたのです。