未来塾通信71



「ビリギャル本」の詐欺性について



■中高生の皆さん、寒い毎日が続いていますが元気でやっていますか。高3生はセンター試験も終わり、2次試験に向けて気持ちを切り替えていることでしょう。中学3年生も高校入試まで残すところ50日となりました。でも、考えてみると、まだ夏休みよりも長い時間が残っています。あきらめずに最後まで頑張りましょう。


さて、前回のブログでは「名を正す」ことが、自分のためだけではなく、社会にとっても極めて重要であると述べました。今回は、中高生の皆さんや受験生をターゲットにした、ある詐欺本について述べます。

本のタイトルは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』です。『学年トップのお嬢様が1年で偏差値を40下げてギャルになっていた話』ではありません。勘違いしないようにして下さい、なんちゃって。するわけないですよね。


思うに、中高生の皆さんはこの本を買わないでしょう。買うのは「好奇心旺盛な」塾講師か「教育熱心な」親御さんでしょうね。ひょっとすると学校の先生も読んでいるかもしれません。なんといっても、出版社によると120万部突破のベストセラーだそうで、映画化もされたそうですから。中高生の皆さんの中にも読んだ人がいるかもしれません。センター試験が終わった今日(1月15日)、新聞に大々的な広告が出ていたので、さらに読者が増えるかもしれませんね。

私はこの本を詐欺本だと言いました。その根拠を挙げる前に、批判する動機を端的に述べておきます。

第一に、この本の読者は、おそらくマスコミの垂れ流す世論調査や情報をうのみにする安倍政権の支持者と重なる可能性があると判断しているからです。現に日経がこの本に対して好意的な記事を書いています。私はそれに心底うんざりしたのです。


第二に、この本の著者である塾講師・坪田信貴氏のあまりに薄っぺらな人間観、学力観のみならず、出版社と組んだもうけ主義を批判するためです。これについては次回のブログで述べます。


ところで、この本を読んで、「自分でもやればできる」と思った人、この本から「感動をもらった」という人、あるいは「わが子もその気になればやれるはずだ」と信じる保護者の方は、以下を読んでも得るものは少ないと思います。時間の無駄ですし、気分を害するだけでしょうから無視してより有益なことに時間をお使い下さい。


では始めましょう。この本を詐欺本だと断言する根拠。

1.この本の表紙のギャルは、実はファッション誌『JELLY』(ぶんか社)などで活躍する石川恋というモデルで、ビリギャル本人でも慶大生でもないこと。その旨断っていても、表紙のインパクトは大きく、間違った印象に誘導する目的が見え見えであること。


2.「学年ビリ」「ギャル」「1年」「偏差値」「40上げて」「慶応大学」「現役合格」「話」という、これ以上ない下世話な関心をひくための言葉をつないで、そのまま本のタイトルやフレコミにしていること。


3.塾講師の著者いわく、ビリギャルと出会った当時、彼女は「小学4年生の学力のギャル」だったというが、もし本当なら、世の中の小学4年生を一年後には慶応大学に合格させることが可能になるはずである。ところが、ビリギャルは中学受験を突破し、名古屋では「お嬢様学校」と呼ばれる私立の中高一貫校「愛知淑徳学園」に通っていた。愛知淑徳中学の偏差値は60前後で、著者のいう「小学4年の学力」では受からない。そもそも中学受験は一般的に小学校の勉強だけで受かるのは難しい。したがって、小学4年レベルの学力というのは、あり得ない。


4.愛知淑徳学園の2015年の合格実績を見ると、卒業生279名で、早稲田5名、慶應6名、明治22名、青学14名、中央11名、立命館66名、東大1名、京大3名、名古屋大22名・・・(「週刊朝日」4月17日号による)とそれなりの進学校で、東大合格者は少ないものの、大分で言えば上野丘高校と遜色ない学校である。


5.さらにタイトルにある「1年で偏差値を40上げて」の「1年で」というのも事実ではない。著者はビリギャルがはじめて塾にやってきた時のことを次のように書いている。「高校2年の夏、ああちゃん(=さやかの母親のこと)に『さやかちゃんも、そろそろ大学のことを考えたほうがいいんじゃない?』と言われて、僕の塾へ連れて来られたのでした」

「こうしてさやかちゃんは、週に3回、僕が勤めていた塾の夏期講習に通って来るようになります」「高校2年の夏期講習が終わり、それまで週3回来ていたさやかちゃんは、週4回、塾に通って来るようになります」

高校2年生の生徒を「さやかちゃん」と呼び、母親のことを「ああちゃん」と呼ぶこと自体気持ち悪いが、そのことは置くとして、ビリギャルは高校2年の夏には週3回塾に通い、受験勉強を始めている。しかも高2の2学期からは週4回も塾に通っている。「1年で」ではなく「1年半で」だし、高2の夏から受験勉強を開始するのはふつうの高校生よりむしろ早いくらいである。


6.さらに、彼女が合格した慶應大学SFCの総合政策学部の受験科目は、英語(あるいは数学)と小論文の2科目であること。しかも小論文は、最初から得意だったらしい。著者によれば「実は小論文に関しては、さやかちゃんはなぜか最初からセンスがありました。お話の中に入り込んで、怒ったり、感動したりするセンスがあったからです。そしてなぜか(?)字がきれいなのも好印象でした」

小学生の作文指導ではない。大学入試の小論文に関して「お話の中に入り込んで、怒ったり、感動したりするセンスがあったからです」と述べるなど、この著者の精神年齢を疑う。それはともかく、ビリギャルには文章力がもともと備わっていたということである。ということは、英語にしぼって勉強すればよかっただけである。

7.塾教師としての経験から言って、高2の夏の段階から慶應に狙いを定め、他科目を捨て、1年半で英語1科目だけにしぼって偏差値を上げるというのは、難しい話ではない。それどころか、ビリギャルの母親は受験に関係ない学校の授業では娘の居眠りを許容しろと学校に直談判までしている。単なる自分勝手なクレーマーではないか。

8.塾は、公教育でも慈善事業でもないので、通うのは、当然お金がかかる。

「彼女が高校3年生に上がろうとする頃のことでした。そこで、僕は、無制限コースという、日曜を除けば塾へ毎日来られる学習コースを、さやかちゃんに勧めます。ただ、それには当時の塾に、百数十万円というまとまったお金を前払いしてもらう必要がありました」
いくら毎日通えるといっても、中学から私立に通わせたうえ、塾に百数十万円ポンと払える家庭など、そう多くはない。

9.この本が出版されたのはビリギャルが合格してから6年後のことである。これが何を意味しているか、わからない人はいないと思う。以上。


東大生の親の半分以上が年収1000万以上というデータがあります。親の年収や教育方針などによって、子どもの成績や学歴が大きく左右されてしまう傾向は強まる一方です。その影響か、親のための受験本もどんどん増えています。『ビリギャル』の中でも母親の教育熱心をあらわすエピソードがたくさん出てきます。さらに、母親自身も"ビリママ"として教育本を出版しました。


さて、前回のブログで述べたように、この本の実態に正しい名を与えてみましょう。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』とは、『中学受験をして、偏差値60の私立の中高一貫校に合格した後、何年か遊んでいても、高2の夏から毎日塾に通い、そのため百数十万円をポンと払うことができ、入試科目が実質英語だけの慶応大学の総合政策に的を絞って勉強すれば、なんとか合格できる話』ということになります。要するに、現在の教育格差を象徴する話だったというわけです。


あなたはこの本から「勇気をもらえる」でしょうか。