未来塾通信68



こどもの魂はどこで育つのか



■「こどもの魂はどこで育つのか」というタイトルは身の程知らずかもしれません。しかし、教育に携わる者なら、いや人の子の親なら、一度は自身に問いかけたことがあるはずです。私は塾の教師を始めてから、あるいは親として、この問いとともに生きてきました。


今は未就学児童にスマホを持たせたり、テレビやゲーム機を与えて育児の手間を省くことが当たり前の世の中になっています。こういった問いを発する時代ではないのかもしれません。いまさら何を言うんだ、そんな問いを発したところで、今の生活が維持できるわけもないだろう、という反論が返ってきそうですね。

しかし、ここ数十年の日本社会は、能力があり激しい競争に勝ったものが裕福になり生き残るのは当たり前だ、という価値観が疑われもせず、公然と発信されるようになりました。その結果もたらされたものは、社会全体に蔓延する<感情の劣化>です。以下の文章は私の少年時代を回想して書いたものです。あのころは、こどもの魂を育み、その全一の成長を約束する環境がいたるところにあった時代です。何かのヒントになればと思い、ブログから再録します。


小学2年生の時の担任は神経質な女性の先生で、私は彼女の醸し出している雰囲気が苦手でした。人はだれでも独特の空気感を漂わせていて、幸か不幸か本人には決して感知されません。しかし、こどもはそれに本能的に反応して生きています。犬が相手によって吠え方を変えたり、しっぽを振ったり、まったく吠えなかったりするように。
 

PTAの授業参観の後、母親から授業に集中せず外をぼんやり見ていることが多いと担任に注意されたと聞かされました。その頃の私はと言えば、ことばを覚えはじめていたとはいえ、自然と一体化し、まるで小動物のような毎日を送っていました。担任にそう見られていると聞いて心外でした。やっぱり自分が感じていたとおりの先生だなと思ったものです。
 

○○先生は、野良猫を飼ったこともなければ、河原の水たまりでカメを飼ったりしたことがないのだ。古い神社の床下に住んでいて獲物が落ちてくるのを待っている蟻地獄のグロテスクな姿を見たこともなければ、鮮やかなターコイズブルーに黒の斑点があるカラスの卵を触ったこともないのだ。もしそんな世界を知っていたら、授業に集中することなんかできるわけがない、と思いました。そもそも私にはその頃の学校の記憶があまりないのです。
 

こどものころ放心していたといっても、それは単にぼんやりしていたとか、何も考えていなかったとか、そういうことではなかったのです。自然の不思議さや美しさで飽和したこころを抱えて生きていたのだ、と言った方が真実に近いでしょう。
 

ゆっくりとした時間の歩みの中で、たとえば夏の太陽の光にやさしく愛撫されるようにして豊醇に成熟していくブドウの実のように、こどもたちの魂は、外から計算したり、推しはかったりできない全一の成長が約束されていなければなりません。
 

父の実家は古い大きな農家で、夏休みや冬休みになると帰省して数日間を過ごしていました。敷地は広く玄関へ通じる道を右へ曲がると牛小屋があり、柵の向こうに黒い大きな牛が立っていました。人の気配を感じると奥からのっそりと柵の近くに来て、かいば桶に頭を突っ込んで餌をほしがるのです。

私は大きな長い押し切りで草やワラを切り、ぬかと混ぜて牛に食べさせました。上下の歯をすり合わせて餌を食べる時のくぐもった音や大きな眼、角の固い感触など今でもはっきり覚えています。牛小屋の隣には鶏小屋があり、毎朝ワラのなかに産み落とされた新鮮な卵を取りに行き、焚きたての御飯にかけて食べたものでした。
 

牛小屋の前は畑になっていて、大きな槙の木があり、その隣に土蔵がありました。入口の右側には分厚い板でおおわれた穴が掘ってあり、もみ殻で一杯でした。それを掘り返すと中からサツマイモが出てきました。保存食にしていたのでしょう。それを焼きイモにして食べた時の美味しさと言ったらありませんでした。
 

あれはいつのころだったでしょうか。季節は秋の終りだったような気がします。ひんやりとした土蔵の中に入ると、かすかなカビの臭いと古い書籍や材木の朽ちた臭いがしました。私はその土蔵の空気感が好きでした。積もっているのはチリだけではなく、人間の歴史と時間なのだと分かっていたからでしょう。
 

入口の左の奥に、私の身長よりも高い大きな甕(かめ)があり、そばに階段がありました。中に何が入っているのだろうと思い、薄暗いのでローソクをつけて階段を上りました。甕の中はなみなみと水が張ってあって、それはまるで深い沼のようでした。水の底は暗く、鏡になった水面に自分の顔が映っていました。その鏡になった水面の下には何か別の世界があるようでした。
 

自分の顔を水面に近づけたとき、ローソクが一滴かすかな音を立てて、水の中に沈み、白い花びら模様に広がって浮かび上がってきました。私は思わず息をのみました。そして一滴また一滴と蝋(ろう)を垂らしました。
 

それは暗い池に浮かぶ蓮の花のようでもあり、夜の運河に散り漂う桜の花びらのようでもありました。私は妖しい花の白さに、いつまでもいつまでも見とれていました。そのうち遠近感が失われていき、いつのまにか、遠い暗い夜空から舞い降りてくる雪が、自分の顔の上に降り積もってくるような気持ちになったのです。雪片の冷たさを感じた瞬間、私は我に返りました。
 

今から思うと、少年の私が見ていたのは単なる一滴の?だったのか、自分の魂そのものだったのか判然としません。ただ、こうした些細なものにあれほど引き付けられ、幸福感と酩酊感を感じたことは、生涯二度とありませんでした。いや、二十歳のころ、黒澤明監督の映画『デルスウザーラ』の中で、氷河の亀裂の底がこの世ならぬ透明な青さをたたえているのを見たとき、同じような感動を覚えたことがありました。
 

人は成長するにつれ、社会的にまとっているステイタスなり立場なりに目がいくようになり、その人が漂わせている空気感を感じ取る「嗅覚」は麻痺してくるようです。ことによると、私が建築に興味を持ったのは、この空気感を感じたからかもしれません。
 

すぐれた建築には、必ず独特の空気感があります。ウェブや書籍やDVDを通じて得た知識や世間的な評価だけを頼りに建築の本質に迫ることはできません。その建物を実際に見て、その中に身を置き、空気感を感じなければなりません。肩書だけでは人間の本質に迫れないのと同じですね。