未来塾通信59


勉強で行き詰っている高校生の皆さんへ


■「勉強に行き詰っている」とはどういう状態を指すのでしょうか。「勉強する気が起きない」ということでしょうか。それとも、「学校の授業が理解できない」「テストの点数が上がらない」ことで悩んでいる状態を指すのでしょうか。その両方だということもあるでしょうね。
 

私は33年間、大分市の片田舎で塾の教師をしてきました。こどもたちと勉強するのが楽しかっただけで、利潤をあげるための多店舗展開型のビジネスモデルには興味がありませんでした。教室は一つ。教師も私一人で、学生アルバイトを雇ったこともなければ、「東進衛星予備校」「ブロードバンド予備校」「ヴェリタス」などのウェブの授業を生徒に見せて料金をもらうといったレンタルショップまがいのことにも手を染めませんでした。労働なきところに報酬なし、ですからね。
 

単なる時代遅れの塾だろうとか、田舎の情報弱者の言うことなど当てにならないと思っている方は、これ以上読み進める必要はありません。ただ、私は公教育の外でこどもたちの勉強の面倒をみるという、極めて限られた特殊な世界、要するに裏のカリキュラムが支配する世界に生きていることを自覚しているだけです。この業界の知的レベルの低さ、金太郎飴のようなビジネスモデルとしての陳腐さについて、今さらどうこう言うつもりはありません。
 

「裏のカリキュラムが支配する世界」と言いましたが、そこを深く掘り進めば進むほど、塾業界が社会の歪みを反映していることに気がついたのです。もはや塾なくしては表の世界も存在できないところまで来ています。とくに学力レベルの高い学校であればある程、そうなっています。
 

具体例をあげてみましょう。単純に偏差値という物差しで測れば、大学入試の最難関は東大の理科三類(医学部)です。そこに合格する人の6割以上が『鉄緑会』という塾の出身者で占められています。彼らは中学受験の時から同じ塾に通い、学校は違ってもほとんどが顔見知りです。

つまり、本来なら受験生に求められる能力の大部分を塾が肩代わりしているのです。どこかのスポーツジムに似ていますね。トレーナーが完璧なメニューを用意して、それをやりきるまで追いこんでくれる。トレーナーの指示に自分の考えなど差し挟まなくてよい。ただ言われた通りやっていれば、筋肉がついたり減量できたりする。開成をはじめとして都内の国立または私立の中高一貫校が、「受験を意識しない、レベルの高い、まともな授業」が出来るのは、塾という裏のカリキュラムがあるからです。
 

話を戻しましょう。今仮に「勉強に行き詰っている」状態を「勉強する気が起きない」ことだとしましょう。「勉強する気が起きない」のは、与えられたカリキュラムを「まじめに」こなさなければ、「まともな大人」になれないかもしれない(内実はまともな会社に就職できないということですが)という不安が動機になっているからです。つまり、勉強に積極的な意味を見出せず、消極的な理由で机に向かっているからです。
 

現代は共同社会の単一なイメージがもはや成立しない時代です。「まともさ」を判断する基準はあいまいになり、「大人」という概念それ自体が不確かになっているのです。そういう時代をあなたは生きています。あなたの周りを見回して下さい。犯罪まがいのことをやっている政治家の例を引くまでもありません。人間は動物と違って、よりよき人生を生きるためにはモデルを必要とします。モデルに値する人間が少なくなっているのです。「勉強する気が起きない」理由は、実はこんなところにあります。
 

次に「学校の授業が理解できない」「テストの点数が上がらない」と悩んでいる人はどうすればいいのでしょうか。まず、個人の能力には雲泥の差があることを正直に認めることが必要です。1時間で100個の英単語を覚える人もいれば、一週間かけても覚えられない人もいます。ここをごまかしてはなりません。その上で具体的な対策を立てるのです。
 

個別指導の塾に行くという選択肢は、まずほとんどのケースでムダに終わります。なぜなら、細切れにした単元を細切れに教えているだけだからです。あることをうまく教えるには、教える側が、その内容について数段高度な理解力を持っていること、つまり体系を理解していることが必要になります。アルバイトの学生には期待できません。社会人の講師でも最低10年の経験が必要です。そもそも個別指導とは名ばかりで、先生1人に生徒2人から4〜5人という「個別」指導もあります。これは授業料を高くとるための方便です。
 

一体どうすればいいんだ。お前は具体的な答えを出していないではないかと、憤慨している人もいるでしょうね。私は塾教師なので、具体的な参考書の優劣を比較したり、時間の使い方や本の読み方を指導したりすることもできます。授業の中身についても、追々ブログで書いていきます。
 

しかし、具体的な対策は往々にして対策にならないことが多いのです。それは対策以前の、自分という存在のベースができていないからです。そのベースを作るために、一つだけ言えることは、「行き詰った時には考えよ!」ということです。考えて、考えて、考えて、工夫するのです。考えることによってのみ、今あなたが閉じこめられている「箱」の外に出ることができます。それこそが人間に与えられた特権です。
 

「箱」の外に出ることは、ある種の「逸脱」になりますが、学生という期限付きの逸脱です。受験とは全く関係のない本を読んでみたり、休みの日は一日中美術館で過ごしたり、映画を見たり、とにかく自分のやりたいことをするのです。勉強の仕方を根本的に疑ってみるのもいいかもしれません。
 

「箱」の外の世界をさまようことは、逆に、自分の精神の<型>を作り上げることに役立ちます。その経験は、あなたがこれからの人生で出会うことに対して、どのように考え、どのように行動するかについての、ベースを作ります。つまり、期限付きの逸脱が、具体的な人生に立ち向かうための、自分の生き方を固めるのです。

本記事は、ブログ『木洩れ日の庭から』(6月14日)に書いたものです。とてもためになる動画がありますので、そちらをご覧下さい。