未来塾通信54


災厄の犬 2 - 安倍晋三氏 Part2 (2015:1:25)

■今回は安倍内閣が閣議決定した集団的自衛権の行使容認について書くつもりでした。安倍晋三氏が国民に向けて説明した集団的自衛権を発動する八事例のどれもが、信憑性に欠ける机上の空論でしかないことを証明し、安倍晋三氏が学習能力を根底から欠いていることを誰にでもわかるように説明しようと思っていました。


  ところが、2015年1月20日、突如として、過激派組織「イスラム国」が、日本人2人を人質にし、身代金2億ドルを72時間以内に払わなければ2人を殺害するとの声明をネット上に公開する事件が起こりました。中東を歴訪していた安倍首相がイスラム国対策として表明した2億ドルの支援への報復として殺害警告が発せられたのです。「突如として」と書きましたが、安倍晋三氏と閣僚は、昨年11月には後藤健二氏が人質になったこと、およびイスラム国(ISIL)から身代金の要求があったことを知っていました。なぜなら、後藤健二氏の家族が、メールを受信してすぐにその件を外務省に通報していたからです。つまり、国民に隠して交渉を続け、身代金支払を拒否していたのです。


  その直前の2015年1月17日、エジプトで開かれた 「日エジプト経済合同委員会」で安倍晋三氏は次のように述べました。「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」と。イスラム国(ISIL)による、邦人2名の殺害予告が発せられたのは、この直後です。日本人の湯川遥菜(はるな)さんと後藤健二さんがISILに拘束されている中での演説です。


  さかのぼること4ヶ月前、昨年9月にニューヨークでイラクのマスーム大統領と会談した際、安倍晋三氏は「日本は,イラク政府も含む国際社会のISILに対する闘いを支持しており、ISILが弱体化され壊滅されることにつながることを期待する」と述べています。さらに、その直前にエジプトのシシ大統領と会談し、米軍による過激派「イスラム国」掃討を目的としたシリア領内での空爆について、「国際秩序全体の脅威である「イスラム国」が弱体化し、壊滅につながることを期待する」と述べたと、日経新聞は伝えています。こうした経緯をたどると、安倍首相は「イスラム国」を空爆によって壊滅させることを支持するとともに、「イスラム国」と戦う周辺国に資金援助をする意思を示したと受け取られても当然でしょう。わざわざ中東まで出かけていって「イスラム国」を名指しして、挑発するような演説を行えば、今回の結果を招くことは小学生にでもわかることです。


  ところで、安倍晋三氏は、昨年の5月、イスラエルと兵器の共同開発を柱にした“防衛協力” を結び、武器禁輸を緩和して「イスラエルにも兵器を売れるように」しています。イスラエルのネタニヤフ首相は、軍にパレスチナのガザ地区へ陸上侵攻を命じ、何の罪もない子どもたちの居場所を突き止め、見るも無残な殺し方をしています。何度も、何度も。その映像は世界に配信されました。安倍政権は、ガザの住民を無差別に殺しているイスラエルと防衛協力という軍事協力を結んで、パレスチナの少年少女の犠牲者を増やす手伝いをする一方で、今年2015年1月20日の午前中、そのイスラエルが破壊したパレスチナ・ガザ地区の復興に、1億ドルの復興支援を約束しました。そして同日の午後、日本人の人質の殺害予告を受け取って、そのパレスチナに協力要請しました。多少なりとも論理的な思考力があり、道徳的な人間であれば、理解不可能な所業です。


  今回、安倍晋三氏は、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナを次々と訪ね歩き、エジプトに430億円、ヨルダンに147億円とすでに総額2900億円もの国民の税金をばら撒きました。そうやって「イスラム国」を刺激し、その結果、今回の人質事件を招き、日本人の命をテロの危険にさらしました。安倍晋三氏はこれを『地球儀俯瞰外交』と呼んでいます。


  安倍政権は、「人命を第一に」人質の早期解放に向け、資金拠出が非軍事の「人道支援」であることを強調し、「イスラム国」側の態度の軟化を促しています。その一方で「わが国は決してテロに屈することはない。国際社会と手を携え、卑劣なテロとの戦いに万全を期す」との姿勢を鮮明にしています。自民党の副総裁、高村正彦氏も「身代金は払えない」と公言しています。しかし、そもそも「人道支援」とは本来非政治的なもので、敵味方を分け隔てなく助けることを意味するはずです。だからこそ「人道的」という言葉が意味を持つのです。紛争当事者の一方をあからさまに非難し、一方に肩入れするのであれば、それは単なる「後方支援」です。


  要するに、「人命を第一に」という言葉は、国民向けのパフォーマンスであり、大嘘です。元内閣官房副長官補・柳澤協二氏は「邦人の命を救うため、イスラム国を挑発した張本人、安倍首相が辞任すべきだ」と提案しています。これこそ、「人命を第一に」考えた時の、最高責任者の責任の取り方でしょう。集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際、あれほど「国民の生命財産を守る」ことを声高に何度も何度も主張していた安倍首相は、結局、国民の生命よりも、いわゆる「有志連合」に名を連ねたいとの願望を優先させたのです。


  民族と宗教と欧米がかき回した地域に、憲法9条を持つ平和国家であるがゆえに、イスラムからも好意的に見られていた日本人の特権的立場を、わざわざ金をばら撒いてぶち壊しに行ったのが安倍晋三氏です。後藤さんや湯川さんはその日本人としての特権ゆえに、今まで殺されずにいたのでしょう。しかし、「お前がそう出るなら、それもおしまいだ」と、「イスラム国」は警告しています。これは間違いなく、安倍晋三氏の責任です。


  イスラム学者の中田考氏やジャーナリストの常岡浩介氏が「イスラム国と交渉できる」と表明しましたが、このような学者を総動員して、何が何でも助けようという姿勢が日本政府には感じられません。それどころか、報道記事によると、日本人が殺害されるまでの期限が残り24時間以下となった1月22日の午後、安倍首相は新経済連盟(三木谷浩史代表理事)が開いた新年会に出席して挨拶をしたとのことです。法人税減税などについて語り、「今後もさらなる(減税幅の)上乗せを目指していく」と述べたそうです。直前の会見で「時間との戦いだ」と言っていたにもかかわらず、こんな切迫した重大な時期に企業の新年会で呑気な挨拶をしている人間が、わが国の総理大臣であることを、私は恥じ入るばかりです。「人命を第一に」という言葉がむなしく響く所以です。


  それどころか、一連の動きを見ていると、人質が殺されようが解放されようが、今度の事件を奇貨として、「有志連合」の仲間入りを果たし、憲法9条を持つ「みっともない国」と決別したい。そのためには、集団的自衛権行使容認の閣議決定を実効あらしめる法案を今国会で成立させ、一刻も早く自衛隊海外派遣の既成事実を作ろうと意図しているようです。昨年8月時点で、人質をめぐって「イスラム国」と交渉しながら、自分たちに有利な政治情勢づくりが可能であることに気がついていたのです?。昨年の暮れ、あわてて解散総選挙が行われた背後には、こういった状況があったのです。


  しかし、安倍首相もメディアも見落としている点があります。そもそも、集団的自衛権は日本が主体的に行使するとはかぎらないという点です。そういう局面はほとんどないといってもいいでしょう。アメリカが発動し、それに日本が付き従って他国での戦争に加わるのが集団的自衛権の行使です。のべつ戦争をしている国、それがアメリカですから。しかも、過去の歴史をひもとくと、集団的自衛権は条約締結国の主権を踏みにじる使い方がほとんどです。例えば、ソ連はチェコが自由と民主主義を求めたとき「資本主義国の間接侵略だ」と断じ、チェコを防衛するという名目で襲いかかりました。アメリカはカリブ海の小国グレナダが自由独立路線に転換したのを「共産主義の間接侵略だ」と断じ、襲いかかりました。相手国の意向などお構いなしに大国の都合を押し付ける道具、それが集団的自衛権の本質です。私たちが目指すのは、米軍と一蓮托生で戦争にのめりこんでいく日本ではないはずです。テロと核の標的にされても米軍に付き従う日本でよいのでしょうか。米軍の軍事戦略と一体化した政治戦略を国の根幹に据える国、それは文字通り植民地国家です。


  さらに、アメリカのいう「テロとの戦い」が何を意味するのか、それを記した米軍教範が米軍の手で公開されています。『低強度紛争における軍事作戦』の一節には「低強度紛争(LIC=いわゆるテロとの戦い)の成功は、米国の利益および法に合致し、米国の国家目標である自由、民主主義制度、自由主義経済の成長を達成することができる」と書かれています。つまり、「テロとの戦い」とは、世界の平和と安定のために戦うのではなく、実際は米国の国家目標を達成する、米国の利益のための戦いなのです。米国の利益とは、「自由市場経済の成長」すなわちアメリカの財界・富裕層の利益です。米国資本が利益を求めて安全かつ自由に活動するために、世界的な規模でアメリカ式「自由」や「民主主義」を実現する、そのための戦いが「テロとの戦い」です。


  その戦いの一端を担うべく、「イスラム国」のワナにはまったフリをし、アメリカに付き従って堂々と武力行使ができる国にするために、憲法9条を中心とした日本国憲法を有名無実化することが安倍晋三氏に課された「任務」のようです。

  安倍晋三氏は、私たちにとって災厄をもたらす犬になる可能性が最も高い首相だと思われます。いや既に災厄をもたらしています。2006年12月22日の国会で、福島第一原発の電源喪失の可能性を、原子力の専門知識を持っている共産党の吉井議員に指摘されたとき、内閣総理大臣であった安倍氏は「対策は何もしていないが、日本の原発で全電源喪失が発生するとは考えられない」と答弁しています。私はこの答弁を聞いて、安倍晋三氏の知力を根本から疑いました。そして、案の定、史上最悪の放射能過酷事故が起きたのです。防ごうと思えば防げた事故だったのです。責任は誰にあるのでしょうか。その後、安倍氏はその答弁を議事録から削除させました。


  さらに、東京オリンピックを開催するために「汚染水は完全にコントロールされている」と、事実とは違うことを世界に向けて宣言しました。それも束の間、安倍首相が無理やり作らせた汚染水処理のロードマップが完全に破綻していることが明らかになりました。そもそも汚染水処理が完全にできると考えること自体がおかしい。早晩、海に汚染水を垂れ流すことになるでしょう。一事が万事とはまさにこのことです。


  これを書き終わった1月25日未明、湯川遥菜(はるな)さんが殺害された模様だとの情報に接しました。後藤健二さんを救う方法があるとすれば、フランスのテロに対して、数百万人がデモで抗議したように、日本人も同様の規模で安倍首相に抗議するため国会を取り囲むしかないと思います。しかし、読売新聞や産経新聞がすでにこういった動きをけん制する記事を書き始めています。「国民が一致団結して、邦人救出に専念しなければいけないときに、人質事件までも政争につかうのは許されない。イスラム国という残忍非道な暴力は許せない、妥協はできない」と。そもそも、「国民が一致団結して、邦人救出に専念」とは、どうすればいいのでしょう。安倍首相の言うように「わが国は決してテロに屈することはない!卑劣なテロとの戦いに万全を期すぞ!」と書いたプラカードを持ってデモをすればよいのでしょうか。それとも政府を信じて黙って従え、というのでしょうか。私がプラカードに自分の思いを書くとすれば『Save his life』でもなければ、『I am Kenji』でもありません。『Never ever follow Abe!』 『Never kill people!』です。