未来塾通信53


災厄の犬1 - 安倍晋三氏 (2014:12:13)

■以下は2014年の暮れ、衆議院選挙の前にあわてて書いたものです。青色部分はその後付け足したものです。

 今回の選挙は沖縄に注目しています。自民党が全敗することを望んでいます。SF映画でよくありますね。ある新種のウィルスが世界を破滅させようとしているとき、それに対抗できるアンチ・ウィルスが世界のある地域にだけ奇跡的に生き残っている。それを取りに主人公が冒険の旅に出る・・・といったストーリー。反基地闘争を前面に押し出して闘う沖縄の人々は、辺境に奇跡的に生き残っていて、最後に世界を救うアンチ・ウィルスかもしれない。沖縄は日本を救う使命だけではなく、世界史的な使命を委ねられているのではないか、私にはそう思えます。「対抗馬がないからとりあえず自民党」と考えている人は、猛威を振るうウィルスによって破滅させられても仕方ありません。これこそ本当の自己責任です。

(選挙の結果は私が願ったとおり、自民党が全敗する結果となりました。それがよほど悔しかったのでしょう。安倍総理は、辺野古沖移設に反対して新知事に当選した翁長氏が、公人として会談を求めたにもかかわらず拒否し、三日間も東京で徒に時を過ごさせました。つまり、沖縄県民の民意に後ろ足で砂をかけたのです。安倍氏も民主主義の過程によって選ばれた議員なら、沖縄県民を代表する新知事と面会して意見に耳を傾けるべきだったのです。その上、沖縄振興予算3000億円の削減も検討しています。やはり、自民党の議員には「最後は金目でしょ」というセリフが良く似合います。ここまでくれば、姑息どころか、やっていることはわがまま勝手な子ども以下です。御用学者、御用マスコミ、倫理なき財界のエライさんに囲まれて「ボクのやり方に賛成してくれる人とは仲良くするけど、ボクの悪口を言う人とは、会うのもイヤだ。お金もやるもんか!」と言っている。これが日本国の首相のレベルです。この「子ども」とその取り巻きには、もはや理路のある言葉は届きません。)

 安倍政権が誕生してから2年余り。この間、公然と傲慢な態度をとる人間が日本社会で急激に増えたように感じます。差別的、恫喝的な言動が当たり前になり、歴史問題でも外交でも独善的思考が顕著になりました。他者や弱者への思いやりが消えて、近隣諸国との関係も悪化し、民主主義の原則が次々と破壊されている。首相や閣僚と繋がりのある人間たちが、そうした変化の先頭に立っているのです。ヘイトスピーチに象徴されるように、差別や偏見を堂々と口にする人が増え、それに異論を唱えれば罵倒の言葉を浴びせられます。感情の劣化が進行しているのは紛れもない事実です。最高裁がヘイトスピーチを人種差別であると断定したのは当然でしょう。

  今回は、私が災厄の犬だと考える人物(氷山の一角ですが)を取り上げてみます。

  まず一人目は、現内閣総理大臣である安倍晋三氏です。

  国会の中継を見ても、テレビでの党首討論をみても、彼の知力の低さにはいつも驚かされます。憲法改正を意図する割には、憲法の価値体系についてはほとんど無知です。憲法は国家権力を縛るものだという立憲主義の本質が全く理解できていません。憲法学者の芦部信喜氏も知らない。自然科学系の学者が知らないのとはわけが違います。時の総理大臣であり憲法改正を意図する人間が芦部氏を知らないというのですから、彼の憲法論議が中学生の学習する「公民」のレベルになるのも当たり前です。さらに、表現の自由を保障した憲法二十一条の価値優越性についても無知です。

  民主主義国家において表現の自由がいかに重要なものかわかっていれば、テレビ局各社に報道要望書を提出したりしないはずです。いや、恥ずかしくてできないはずです。私はこの件だけをとっても、安倍晋三氏は総理大臣の地位にとどまる資格はないと思います。その要望書を提出する時に各テレビ局の責任者らを呼び付けて口頭で別の注文をしていたことが判明しました。弁護士ドットコムの報じた記事によると、自民党記者クラブに所属する各テレビ局の責任者を個別に呼び出して、文書を直接手渡したとのことです。この時に色々と注文をしたようで、恫喝に近い行為が行なわれていた可能性が高いと書いてあります。

  また、出演者の発言回数・時間や、ゲスト出演者の選定、取り上げるテーマや街角インタビューの内容などを具体的に指示したことも過去に例がなく、弁護士側は「報道や表現の自由を侵害する」と指摘しています。「政権与党は、本来メディアに批判的に検証されてしかるべき立場です。それにもかかわらず、このタイミングでことさらに「公平」「中立」であることを強調することは、実質的には政権与党の政策に対して、批判的な評価を許さないと言っていることに等しい。テレビ局がこんな文書を政権与党から渡されても、反発することもなく、報道も全くしないというのは、いまのメディアの大きな問題を象徴している」と言っていますが、これこそが表現の自由に関するまっとうな認識です。
(私が安倍総理を批判しても、逮捕されたり、投獄されたりすることはありません。これが中国や北朝鮮であれば、ほぼ間違いなく投獄されているでしょう。それはなぜか。日本国憲法に次の条文があるからです。

  現行憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する。

  まっとうな発言が人々を動かし、フランスのように370万人のデモに膨れ上がったとしても、それを取り締まる法律を作ることはできません。憲法が認めていないからです。人々が自由に発言し行動できるのも、日本国憲法のおかげです。ところが、自民党が2012年の4月に発表した日本国憲法改定案では、二十一条は次のように変えられています。


  自民党憲法草案 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する。前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。


  この第二項が付け加えられることによって、政府は言論の自由を制限することができ、戦前の治安維持法のような法律を制定することも合憲となるのです。それは被害妄想だという人は大日本帝国憲法第二十九条を見てください。自民党憲法草案と全く同じ発想です。


  大日本帝国憲法 第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス


  この大日本帝国憲法があったからこそ治安維持法のような悪法が存在できたのです。治安維持法によって、戦争に反対する言論は取り締まられ、日本は破局的な戦争にのめり込んで行くことになりました。この歴史的経緯を踏まえ、表現の自由に制約があるとすれば、それは他の人権と衝突した場合であり、それを表明したのが現行憲法十三条の「公共の福祉に反しない限り」という文言の意味であるとして、憲法二十一条の価値優越性を認めた学者こそが、前述の芦部信喜氏なのです。結党から60年余りになる自民党の自主憲法草案が、こんなお粗末なものだとすると、その無能力ぶりと不見識ぶりに唖然とせざるを得ません)

  (フランスの週刊誌に「イスラム過激派」がテロを仕掛け、12人を殺害した事件に際し、総理は「言論の自由に対する重大な侵害だ。厳重に抗議する」と発言しましたが、国内で自分がやっていることが、「言論の自由に対する重大な侵害」であることに全く気づいていないようです。この点を批判しないマスメディアは、言論の自由よりも自主規制という名の処世術、つまり自社の経済的利益を優先させました。そして、「自社の経済的利益」を「国益」と言い換えるまでになったのです。言論の自由の価値は、行使して初めてわかるものであり、行使しなければ絵に書いた餅に過ぎません。なんだか中学生に話しているような気持ちになってきました)


  さらに、安倍晋三氏は、今回の選挙の争点はアベノミクスの是非だ、と言っていますが、本当でしょうか。議員定数削減について、野田元首相との党首討論で『やりますよ!約束しますよ!』と大見得を切ったにもかかわらず、違憲状態のまま、またぞろ選挙です。嘘つきだと言われても反論のしようがないはずです。アベノミクスについては、諸説入り乱れていますが、私の理解では、アベノミクスとは、非正規雇用など劣悪な労働条件で苦しんでいる人を救う方法は、もっと生産して、もっと消費して、もっと経済成長すればいい。そしてもっと豊かになったら、莫大な収益を上げているグローバル企業から「トリクルダウン」で余沢が滴り落ちてくるから、その「おこぼれ」に与れるまで待て。だからまずグローバル企業が収益を上げるように全国民で支援しなければならない。そのために、労働者は低賃金を受け入れ、社会福祉の切捨てを受け入れ、年金受給年齢の引き上げを受け入れ、原発再稼動を受け入れ、消費増税を受け入れなければならない、ということです。思考力のない政治家には、「この道しかない」のでしょう。要するに、衰えた老体に筋肉増強剤を打ち、なんとなく若いころの肉体を取り戻した気になっているだけです。化けの皮はすぐにはがれます。そして、今度はTPPという覚せい剤まがいのものに手を出さざるを得なくなってくるのです。


  さて、安倍晋三氏を批判しようとすれば、果てしがありません。そこで、今年度一押しの本を紹介しておきます。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治著:集英社インターナショナル)です。今回の選挙の最大の争点は、原発再稼動と集団的自衛権の是非だというのが、私の認識です。


  最後になりましたが、2013年に映画監督のオリバー・ストーン氏が来日し、広島で講演した内容を安倍晋三氏にプレゼントしたいと思います。日本のメディアは講演内容についてはほとんど報道しませんでした。


  「日本にはすばらしい文化がある、日本の映画もすばらしい、音楽も美術もすばらしいし、食文化もすばらしい。けれども、日本の政治には見るべきものが何もない。あなた方は実に多くのものを世界にもたらしたけれども、日本のこれまでの総理大臣の中で、世界がどうあるべきかについて何ごとかを語った人はいない。一人もいない。Don’t stand for anything 彼らは何一つ代表していない。いかなる大義も掲げたことがない。日本は政治的にはアメリカの属国(client state)であり、衛星国(satellite state)である」と。