未来塾通信48


受験に臨む中学3年生の皆さんへ

■今年は例年になく寒い日が続き、先日は大分市でも大雪となりました。それでも、日差しや大気の中に、春の気配を感じる瞬間があります。塾の前庭や中庭の木々のつぼみもふっくらと丸みを帯びてきました。もう一度くらい寒の戻りがあった後、いよいよ春の到来です。桜の満開まであと一月余りです。

さて、生徒の皆さんは、風邪などひかないように、気持ちを今一度引き締めて試験に臨みましょう。試験前日まで、これまでどおりの勉強を淡々と続けてください。

入試当日は少し早めに起きましょう。親に起こされるようでは、緊張感が足りません。洗面所で歯を磨き、顔を洗って、鏡に映った自分の顔をしっかり見つめます。少し眠そうだけど、いつもと変わらない落ち着いた自分を確認します。髪型を整え、気分を引き締めます。朝食は必ずとりましょう。血糖値をあげて頭が働く状態にするのです。バッグの中に受験票が入っていることをもう一度確認し、親に感謝のこもった挨拶をします。「行ってきます!」「がんばって!」これで十分です。 

試験場に着いたら落ち着いてゆっくり周りを見回しましょう。周りの人は、君と同じように受験校を絞り込むのに悩み、成績が思うように伸びず、不安を抱えたまま今試験会場にいるのです。うまくいけば、4月からは君のクラスメートになる人たちです。そんなライバルに、今日はお互い悔いの無いように最後までがんばろう、と無言のエールを送るべきなのです。 

昔、僕が中学生だったとき、入試の前日指導で先生が「周りはみんなカボチャだと思え。そう思ったら本当にカボチャに見えてくるぞ。そうなったら勝ちだ」と妙なアドバイスをしていました。問題を解いていて、どうも周りの様子がおかしい。変だと思って顔を上げて周りを見ると、隣の生徒がカボチャになっている。左も右も後ろも前もみんなカボチャ!試験監督の先生まで、目や口が三角形のカボチャ!カボチャに囲まれて、自分ひとり問題を解いている!「ひぇ〜助けてくれぇ〜」これではまるで、ハロウィンの悪夢です。先生の言うように、周りの人がカボチャに見えたら、君は相当にあがっているのです。普通の精神状態ではありません。鉛筆を置いてしばらく目を閉じましょう。それでも、周りがカボチャに見えたら、静かに手を挙げてトイレに行って顔を洗いましょう。

試験の開始時間が近づいてきたら大きく2・3度深呼吸をしましょう。大きく息を吸って、肩をあげて力を抜いて落とします。これを数回繰り返します。これだけでも、ずいぶん落ち着きます。決して慌ててはいけません。ここまでくれば、結果を心配するよりも、後悔のないよう自分のもっている力を出し切るだけです。高校野球の決勝戦のマウンドに立ち、一球目のストレートをキャッチャーミットのど真ん中めがけて投げ込むピッチャーの心境になりましょう。今日、この日のために練習してきたのです。これまでの総決算だと考えて冷静に問題と向き合いましょう。「いいかぁ、時間との勝負だ!1秒も無駄にするんじゃないぞ!」というような、人をあせらせるような変なアドバイスには耳を貸さないようにしましょう。 

問題が配られたら、「始め!」の合図でまず氏名と、受験番号をしっかり書き込みます。問題を落ち着いてめくり、すべての問題にすばやく目を通し、難易度を見極めます。数学の最後の問題は、時間に余裕があれば解きます。満点を取る必要などありません。これができれば、君は半分合格したのも同然です。塾でやった以上の質の高い難問など出ません。それでも難しく感じる問題があったら、後まわしにして、簡単な問題から始めます。鉛筆の先に神経を集中させ、クールな頭と熱いハートを持って、テキパキと問題を処理していくのです。

大学受験のとき、隣の受験生が「始め!」の合図でいきなり答案に何か書き始めました。問題を読んでもいないのに、何を書きなぐっているのだろうと不思議でした。きっと、合格のおまじないでも書いていたのでしょう。しばらくすると、今度は消しゴムでゴシゴシ消し始めたのです。「ビリッ」と音がして、「くっそー」という声が聞こえました。迷惑もいいところです。合格発表の日、彼の受験番号はありませんでした。当たり前ですね。終了のチャイムが鳴ったら、静かに鉛筆を置いて、答案用紙を集めに来た試験官に心の中で「今日はありがとうございました」と、お礼を言えるくらいの気持ちを持ちましょう。

さて、合格発表の日です。試験の日には気にもとめなかった草花が春の柔らかな陽光の中で背伸びをしています。落ち着いて受験できた君ならきっと合格しているでしょう。

それでも、合格者の受験番号を張り出す掲示板に近づくと、緊張で心臓が高鳴り、手にはうっすらと汗がにじみます。

  自分の受験番号が無かったらどうしよう。
  受験番号を目で追いかける。
  視線が自分の番号の近くで釘づけになる。
  息が止まりそうになる・・・・・・。
  「あった!やったぁ!」。

さあ、新しい一日の始まりです。苦しかった受験勉強ともお別れです。高校なんかどうでもいいと、やけになって親や先生に反抗したことも今となってはなつかしい思い出です。合格を確認した後、家族に感謝する気持ちが自然にわいてこないとしたらさびしいですね。自分のこれまでの人生を振り返る、またとないチャンスです。

運悪く不合格でも、くよくよする必要はありません。たかが入試です。顔を上げ、前を見て一歩を踏み出しましょう。僕は大学受験に失敗しましたが、親に経済的・精神的負担をかけたことを除けば、よかったと思っています。なぜなら、失敗することで始めて見えてくる世界があるからです。人生の早い段階で挫折を味わっておくのも悪いことではありません。一つ言える事は、入試に失敗していなかったら、僕は塾の教師になっていなかっただろうということです。無名で平凡に生きることの素晴らしさを知り、君たちと出会うことができ、社会の一隅を照らす人生で良いと思えるようになったのも、失敗を経験したからです。もちろん、入試の失敗は挫折と呼べるほどのものではないですよね。むしろ、人生を見つめなおすチャンスだと思えばいいのです。胸を張って先へ先へと歩みを進めましょう。君の人生は失敗からも開けるのです。

君たちと過ごした時間は僕にとって、かけがえのない貴重な時間でした。楽しかった日々をありがとう。これからの君たちの人生が素晴らしいものになることを祈っています。高校に入って、さらに勉強を続ける意志のある人とは、再会しましょう。

                                         Thank you boys and girls !

保護者の皆様へ

■ 仕事で疲れている中、遠いところを夜間の送り迎えさぞ大変だったことと思います。その大変さに応えるのが私の責任だと思い、がんばってまいりました。私も今年で塾を始めて30年になります。父が急逝し、妻と子どもをつれて大分に帰省したのがつい昨日のようです。塾を始めたとき、上の娘は4歳で、私が作った手作りのチラシをのぞきこんでいました。「お父さんは塾の先生をしてみようと思うんだけど、生徒さんが来てくれるかなあ?」「うん、お父さんの塾ならきっと来てくれるよ!」と、娘は塾の意味もわからずに元気な声で答えてくれました。そのころは本家の座敷の横の6畳の廊下が私の職場で、その小さな狭い世界が生活費を稼ぐ唯一の場所でした。生徒は10人で、10万円に満たない収入で何とか生きていました。妻は不平一つ言わず、その少ない収入の中から、毎日生徒におやつを作って出していました。その当時、私は塾の生徒と娘に吉野弘の詩集を読んで聞かせていました。『奈々子に』と題する詩はコピーして塾の壁に貼りました。その詩人も今年の1月15日に亡くなりました。

ここで生きるしかないと決心し、二人の娘を抱えて、一日一日を懸命に生きていたように思います。選択の余地がないということは、人間を幸福にすることもあるのだ、と振り返ってみて思うこの頃です。

それにしても、時の流れの速さにはぼうぜんとしてしまいます。私がよく使うたとえですが、人生はレコードのドーナツ盤に似ています。幼少年時代は、夢や刺激に満ちていて、一日が本当に長かった。小学生の頃、日吉原海水浴場に泳ぎに行って、砂で城壁を築きその中で仰向けに寝転んでいたことがあります。かもめがゆっくり旋回し、潮騒が遠くで聞こえていました。時が止まって永遠に今日という日が続くように思えたものです。年をとるとレコードのトラックの一周がどんどん短くなってきて、気が付いたら曲が終わって、針が中心で乾いた音を立てていたということになりかねません。保護者の皆様もどうか健康に留意され、一日でも長くお元気で活躍されることをお祈りしております。長い間、本当にご苦労様でした、そしてありがとうございました。

                                               未来塾 杉崎徹