未来塾通信47


最高の人生の終わり方(2014:2:4)

■3・11から3年が経とうとしている。その間、国政選挙が2度あり、そのたびに私は深い挫折感と出口の見えない閉塞感を味わった。塾で生徒の相手をしながら、この子たちの、そのまた子どもたちの生きる世界が、自然と調和した、きれいな水と緑豊かな循環型の社会であることを想像することがどうしてもできなかった。それどころか、第二、第三のフクシマによって、放射能で汚染された荒涼たる国土の中で暮らしている可能性が高いことを考え、鬱々として日々を過ごしていた。せめて自分にできることをしようと思い、原発事故から1年が経たない2012年3月7日に、私は『福島原発−現場監督の遺言』という本のレビューをアマゾンに投稿した。以下はその投稿である。

 ーー 著者の恩田氏はことばを正確に使う人である。「冷温停止状態」「爆発的事象」「中間貯蔵施設」「収束」などという欺瞞言語を決して使わない。あるいは、他人の発言に対して「レトリックにすぎない」などという言葉を投げつけることによって、自分の言説はレトリックではないと読者に印象づけるような卑怯な言葉使いをしない。40年以上にわたってチェルノブイリ事故など原発関連の記事を執筆してきた著者は、現実を正面から見据え、自らの責任と判断でそれを正確な言葉にしている。

しかし、私がここで言及したいのは、「現場監督の遺言」を残した平井憲夫氏についてである。(You Tube「内部告発−原発:平井憲夫氏の遺言」は必見である。これを見ていただければ私のレビューなどどうでもよい)。平井氏は、その発言内容があまりにも生々しく、リアルであるために、一時期その実在を疑われ、原子力村から圧殺されかかったほどの人物である。ネットでは例によって枝葉末節の揚げ足取りや人格攻撃の対象にされているが、逆にそのことが、平井氏がいかに厄介な存在であったかを立証している。

本書の第4章「原発の語り部・平井憲夫の活動」は必読の章である。
東電の福島第二原発3号機の運転差し止め訴訟における平井氏の陳述書は、同氏がさまざまな場で語ってきた原発の内情がほぼ網羅されていて、原発が素人集団による欠陥工事だらけのものであり、保守・点検がいかに杜撰なものであるかを指摘している。特に氏が「チェルノブイリ一歩手前」と呼ぶ、福島第二原発3号機の再循環ポンプの事故および関電美浜原発2号機の蒸気発生細管のギロチン破断事故に関する証言を読んで、背筋が寒くならない人がいるであろうか。私たちが現在生きているのは、単なる幸運に過ぎないと思い知らされる。ここで下手な要約をすれば、氏の証言が持つ迫真のリアリティーを奪うことになりかねない。一人でも多くの人にこの章だけでも是非読んでもらいたいと思う。

人間として生きる誇りとは何か。これは難しい問いである。しかし、誇りと良心を失わず、自分に与えられた責任を全うして生きた人間はいる。平井氏はまぎれもなくその一人である。1997年、氏は58年の生涯を閉じた。お別れの会での高木仁三郎氏の挨拶は心に響く。そして、その高木氏ももうこの世にいない。平井氏も高木氏も私たちが長く記憶にとどめておきたい人間である。

それにしても日本の近代150年の歴史の中で、足尾鉱毒事件、水俣、そして、ついにフクシマに至った経緯を考えると、日本の政治の屋台骨は折れてしまったのだと思わざるを得ない。薄氷の上で浮かれて死の舞踏を舞う国民大衆に、自らの命を犠牲にしてでも危険を知らせ、安全な場所に導くのが政治家の役目ではなかったのか。しかし、福島県民が犠牲になって危険を知らせてくれたにもかかわらず、現在、薄氷の上で率先して死の舞踏を舞っているのは当の政治家たちである。第二のフクシマは近い。??

 この投稿の2ヶ月前、2012年の1月18日に、私は『原発危機と東大話法』の書評を「経済合理性という狂気または合理的な愚か者について」と題してアマゾンに投稿した。異例ともいえる、650人以上の方が参考になったとの感想を寄せてくださり、私の意見を支持するコメントは日に日に増えていた。それを看過できなくなったためか、投稿から9カ月経った10月17日に突然、私のレビューが削除された。問い合わせたところ、新しくなったガイドラインを9か月前にさかのぼって適用し、システムのロジックに従って削除したとの返事であった。投稿されたすべてのレビューを9か月前にさかのぼって判断したのか(それは現実的に不可能であり特定のコメントだけが狙い撃ちされたと考えるのが妥当だろう)、削除の判断基準は何か、との私の問いは無視されたままである。その原稿は『未来塾通信34』に残してある。

 私は、ネットを使って主に海外のメディアから仕入れた情報(このときほど英語を勉強していて良かったと思ったことはない)と国内のメディアが発信する情報をつき合わせ、一人でも多くの人に原発事故の真相と将来的な影響を知ってもらおうと考えた。上記の投稿はその一環であった。しかし、その甲斐もなく、2度の国政選挙で国民は、美しい安全な国土を子孫に残すことよりも、景気回復と中国や韓国に対する強気の外交政策を声高に主張する政権を選択した。民主党政権に対する国民の失望はそれほど大きく深かったのだと思う。それにしても、30代40代に、刮目すべき政治家が見当たらず、それより上の世代の政治家は、無知で暗愚な首相にすり寄るだけで、歴史的な展望を持てる政治家は完全に払底している。国会議員は国民の生命と財産を守ることがその使命であり、地方議員は地域住民のそれを守ることが究極の責務のはずである。しかし、国・地方を問わず、多くの政治家は、利権にぶら下がり、保身を図り、特定の勢力や団体の利益だけを重視する、災厄をもたらす犬になり下がっている。私が絶望するのも無理はなかったと思う。

しかし、都知事選の状況を克明に追い続けているうちに、日本にもまだ政治家の名に値する人間がいることがわかった。現在、小泉・細川元総理が行っている街頭演説は、日本の憲政史上もっともすぐれた、魂のこもったものだと思う。ガンジーが言うように、まさに「よき事ことは、カタツムリの速度で動く」である。事故後、3年経って「よきこと」が動き始めた。私たちが遭遇しているのは文明史における転換点なのだということ、そして私たちの社会が生き延びるためには、価値観の転換・生き方の転換が必要だということを初めて政治家が自らのことばで語り始めている。現役の政治家ではなく、引退した二人の元総理が国家の哲学を語り、国政の場ではなく都知事選を主戦場としていることに、私は逆にリアリティーを感じている。歴史を振り返れば、前途にかすかな曙光が差すのは、いつも思いもかけない場所からである。
 震災後、細川護煕氏は宮脇昭氏(『次世代への伝言』をお読みください)とともに、『森の長城プロジェクト』を立ち上げ、東北の海岸線300キロメートルに10年かけて森の防潮堤を作る活動に携わっている。震災がれきを土と混ぜて防潮堤を作り、その上に地中深く根を張る地元の広葉樹を植える。津波が来ればその森に駆け上がり、引き波で流される時にも森の樹木につかまることができる。この運動は人々の命はもとより、海岸線の美しい景観を守ることにも役立つ。この夢のある壮大なプロジェクトのリーダーが細川護煕氏だった。
 細川氏も小泉氏も政治の世界に戻らなければ、悠々自適の日々が送れていたはずである。その二人が何不自由ない生活を捨てて、都知事選に名乗りを上げ、応援に駆けつける。、晩節を汚すだけだ、過去の人間が何を血迷っているのか、と言われるのを百も承知で、やむにやまれぬ気持ちに突き動かされ、連日街頭に立っている。細川氏も小泉氏も、最高の人生の終わり方を自ら選択したのだ。細川氏が当選することを願わずにはいられない。
 世の中の全ての出来事は、重要な問題であればあるほど、要素還元主義によって細かく分断される。そしてあたかも自分の生活とは関係がないかのごとく錯覚させられてしまう。都知事選で問われているのは、私たち自身の生き方である。私は東京に行きたいとも思わないし、住みたいとも思わない。しかし、今回ほど東京都民として選挙権がないのを残念に思ったことはない。
 その細川氏を応援するためにかけつけた福島県南相馬市の桜井市長の演説を聞いて、私は目頭が熱くなった。細川・小泉両氏の街頭演説は『細川護煕公式ホームページ』より、桜井氏の演説はYou Tube『福島県南相馬市桜井市長の演説』を検索すれば聴くことができる。以下は、桜井氏の演説の文字起こし。一人でも多くの人に読んでもらいたいと願う。

                        福島県南相馬市桜井市長の演説

 ーー ただいまご紹介いただきました、福島県南相馬市長の桜井勝延でございます。1月19日施行の市長選挙において圧倒的な市民の支持を得て、脱原発の考え方を全面に出して、多くの市民から支持を得ました。これはひとえに、原発に頼ってきたことがどれほど人を傷つけて、命をおとしめていったかという事を、私は現場で見て来たんです。
 
 あの震災直後、21メートルの津波が南相馬市を襲いました。636人が命を落としました。111名がまだ見つかっておりません。家族とも面会できていません。その時3月12日に福島第一原発が爆発。家族の捜索ができないまま、避難させられたんです。
71,500人いた南相馬市民のうち、6万人以上が故郷を離れなければならなかった。なぜ人が強制的に、自分の場所を離れさせられなければならないのか。
 
私は選挙戦の最中で、仮設住宅に住む方々に圧倒的に支持されたと考えています。彼らが今、私に対して、投げかけてくる言葉は、「助けてください」、「市 長、助けて下さい」、「もう、仮設では住みたくない」そういう言葉を投げかけているんです。我々は80歳を過ぎた高齢者が「助けてください」と言って、家族とバラバラにされて、孫とも子どもとも離ればなれになって住まわされていることを、東京の皆さんは本当に知っているのでしょうか。
 
私は命があってこそ、この地球があってこそ、幸せを勝ち取れると思っています。南相馬市には原発は無かったんです。にもかかわらず、原発事故で追い出された市民が、6万人以上もいて、今現在も2万5千人を超える市民が避難をさせられているんです。これが正常だと思いますか、みなさん。彼らに、お金で元通りの生活など返せるわけがない。

東京電力の広瀬社長、私が東京電力に行ったとき、一階で、新橋の一階で南相馬市民の私を含むめた代表に対応させたんです。 ふざけてるじゃないですか。本当に、あの一階フロアで対応させられた。なぜこんな屈辱を受けなければいけないのですか?東京電力、原発事故が起きてから南相馬市に見学をよこしたのは10日後ですよ。その間、私は市民の命を守るために、私の独自の判断で市民を避難させました。
 3月16日に、新潟県泉田知事から、新潟県は南相馬市民全員を受け入れると言っていただきました。私は、天から、神からの声の様にうれしかった。市民の命を守るのが政治家じゃないですか。 政治家が命を守れなくてどうするんですか。東京にオリンピック、いいですよ。でも、現場でどういう事が起きているか、皆さんわかってますか。今、建設現場、建築現場は東京に引きあげられてるんですよ。大手ゼネコンは東京の方が儲かるんですよ。なぜ福島が犠牲にならなければいけないんですか、これ以上。
 原発で、危険な電力で、東京は豊かになったんじゃないですか。その東京が豊かになって、地方が捨てられる、こんな現実許されませんよ。

 皆さん、命を守ることは共通なんです。東京で生活することも、田舎で生活することも、同じ命を守ることなんです。なぜ、田舎が年寄りだけにされて、私に「助けてください」と言わなきゃいけないんですか。東京が助けるべきでしょう。今まで使い続けた電力で、なぜ我々が犠牲にならなければいけないんですか。今、南相馬市の予算は1千2百億ですよ。その内の半分以上が除染に使われます。どこにもっていかれるんですか、この金は。東京じゃないですか。東京のゼネコンが 福島に原発を起こして、福島に金を起こして、また福島から金を奪っていく。そんな事が許されますか。東京を変えなければいけないんです。

 私が細川さんを応援に来た理由は、佳代子夫人が、国が20キロ、30キロ線引きをしたとき、物が一切入らなくなったときに、そのとき彼女は私のところにガソリンを運び、物資も運んできたんです。今、命の防潮堤を作ろうとしています。津波で亡くなった方の命を再生させるのが、私の仕事なんです。そのときに瓦礫をつかってでも、植林をして、命をまもる防潮堤をつくって先頭に立っているのが、細川護煕元総理なんです。だから私は、ここに応援に来ているんです。

  細川さんは、命の大切さを最も良く知っているんです。今、この争点は「脱原発」とかいう甘い言葉じゃない。命を守るかどうかなんです。命を守る人間に投票しなくてどうするんですか。あの時に、私が国から線引きされ、棄民化された時に守ったのが、細川佳代子であり、細川護煕なんです。こういう人間を、首都圏の知事にしなくてどうするんですか、皆さん。彼は命を掛けているんです。私も命を掛けて戦っているんです。東京電力と戦い、国のわけのわからない官僚と戦っているんです。それは取りも直さず、見捨てられようとする市民の命を守る事なんです。この東京を豊かにするということは、心を豊かにすることなん です。

 心を豊かにすれば、命を守れるんです。お金では買えない。私が東京に来た時、東京では必ず人身事後が起こっているではないですか。東京は命を軽く見ている。こんな東京にしといていいんですか。絶対ダメですよ。東京が豊かになるということは心が豊かになることなんです。だから細川のように、命を守る人を代表にしなければならないんです。
 
 どうか皆さん、皆さん一人一人の仕事ですよ。誰かに頼る仕事じゃない。細川護煕を立てるということは、自分自身を大切にすることであり、東京都民一人一人を大切にすることなんです。そのために、ぜひとも投票を細川護煕にしてください。
 東京から日本を変えて、世界中を変えようではないですか。私はそのために、南相馬から福島を変え、国を変え、世界を変えるんです。どうか戦いに一緒に手を結ぼうではないですか。一緒に頑張りましょうよ。お願いします。