未来塾通信43


歴史の分水嶺

■3・11以降、2年と4ヶ月が経った。まだと言うべきか、あるいはもうと言えばいいのか。福島第一原子力発電所の事故は私に言い知れぬ衝撃を与えた。地震や津波は多くの人命を奪うが、自然災害である。日本人はそれを克服するすべを知っている。無常観に裏打ちされたすばらしい文学もそこから生まれた。しかし、原発事故は日本の未来を、とくに子どもたちの未来を閉ざす。事故後の政治家や学者、官僚の発言。特に東京電力を始めとする巨大スポンサーと電通の意のままに動かされるマスコミの報道。彼らの言葉は重力を失った物体のように空中に散乱、浮遊し、私には空語、空語、空語としか感受できない。日本の学歴エリートたちの撒き散らす言葉の空疎さ、白々しさ、責任の不在。日本の歴史上かってなかったことである。よほど注意深く目を凝らさなければ、少数者の真実を語る言葉にたどりつけない。首輪をはめられた犬よろしく、ご主人様の意に沿うような発言ばかりを聞かされると、精神衛生上よくないので、私はこの2年4ヶ月の間、言説をふるいにかける精度の高いフィルターを作ってきた。

 そんな折、私の心の一番深いところにまっすぐに届いてきた言葉がある。私はそれを受け止め、干天の慈雨のごとくいつくしんだ。映画『天のしずく』の中の辰巳芳子さんの言葉である。妻と見ながら私はいい年をして何度も嗚咽しそうになった。生きるということを、これほど深く率直に表現したドキュメンタリー映画も珍しい。『エンデの遺言』の著者、河邑厚徳監督ならではの美しい映像と構成である。実は3・11以降、私を救ってくれた数少ない本の中に『エンデの遺言』が入っていた。その河邑厚徳氏が監督なのだ。父が癌で急逝した年に見た、黒澤明監督の『生きる』に匹敵する。現在(2013年7月17日)、大分の『シネマ5bis』で上映されているので、一人でも多くの人に見てもらいたいと思う。「人を本当に愛すると言うことはね、その人から死の恐怖を取り除いてあげることだと思うのね」 食を華やかな商品としてではなく、いのちをつなぐものとして生活の根幹に据え、年齢を重ねてきた辰巳芳子さんの言葉だからこそ重みを持つ。

パンフレットの「辰巳芳子の言葉」より

昨今のうたい文句「簡単即席」に人間が生命を全うしうる真実があるでしょうか。食ということは、あまりにも当たり前のことなので、つい日常茶飯の扱いになります。でも、本当を申しますと日常茶飯ほど、これなくしてはやれない、生きていかれないことが多いのです。料理は、本当に食の一端でございますが、ですけれどもその小さな一端にありながら、生きていく全体に対して一つの影響を及ぼしてまいります。食べごこちをつくっていくということは、最も基本的な自由の行使。そして料理を作る事は、自然を掌中で扱うことなのです。それは人間にのみ許された厳粛な行為だと思います。

私たちは何を手放し、その代償として何を手に入れようとしているのか。まさに歴史の分水嶺に立っているのである。