未来塾通信32


この国の希望はどこにあるか

■N君、F君、K君、Oさん、20数年ぶりのメールありがとう。3・11以降、僕はこの国の前途に何らの曙光も見出せずにいます。特に福島の原発事故について、新聞その他のメディアを通じて流される情報、特にテレビが作り出した言論状況は目を覆いたくなるほど低レベルで的外れなものでした。聞こえてきたのは、「がんばろう、東北!」「がんばろう、日本!」のかけ声と、ひたすら同じフレーズを繰り返す公共広告機構のコマーシャルでした。それが善意から発せられていたとしても、所詮は他人事だからこそ吐ける無神経極まりないことばの数々。この状況をなんとか切り開こうとする切実な声は、ついに聞こえてきませんでした。自分の中のどこを探しても、いまだに被災者を励ますことばは見つかりません。わずかな義捐金を送り、数冊の本を読み返したり、新たに読んだりしてこの2ヶ月あまりを過ごしてきました。君たちからメールをもらっていながら、返事が遅くなって申し訳ありません。近況報告を除けば、ほとんど同じ内容のメールだったのでこの場を借りて4人の皆さんに返事を書くことにします。

F君のメール
 「ー(略)ー 先生の言っていたことが25年たって現実になりました。現在、広瀬隆の『原子炉時限爆弾』を読んでいます。広瀬さんの本を読むのは20年ぶりです。福島の原発事故の6ヶ月前に、まさに予言の書のように書かれていたのですね。この本の帯に『日本に住むすべての人にいま一番伝えたいこと』とあります。この本の存在すら知らなかった不明を恥じています。僕の中では広瀬隆と高木仁三郎いう名前は先生とセットで記憶されています。高木さんは亡くなられたのですね。残念です。僕は今地方公務員をしていますが、よかったら先生の考えをお聞かせ下さい。ー(略)ー」
 
 F君、塾を始めて間もない頃、授業の脱線話といえば原発のことだったね。君たちの何人かとは、反原発のドキュメンタリー映画を見に行きました。懐かしい思い出です。しかし、あれから僕は原発の話はあまりしていません。この国は1980年代の半ばから大きく変わりました。日本社会が大きく変わったのは敗戦を境にしてではなく、まさにこの時期からだと思います。この時期を境にして前期戦後と後期戦後に分けて考える人もいます。そして、後期戦後社会の思想状況(人々の生き方)こそが今回の原発事故(人類の未体験ゾーンに入っている)を招いたのです。その意味では僕にも責任があると言わざるを得ません。
 
  しかし、今、この国の歴史は新たな局面に入ろうとしています。端的に言えば、「福島以前と福島以降」です。「福島以前」がどのような「福島以降」を生み出すのか、あるいは生み出さないのか。
  
  福島原発の事故は政治家、財界人、言論人、そして大学教授たちが、いかに頼りにならないか、いかに無責任であるかということをあらためて白日の下にさらけ出しました。さらにやりきれないのは、原発被災者に対して想像力を欠いた人間が、この種の学者や言論人たちの意見をうのみにしていることです。「日本再生のためには、今、安易な原発停止は避けるべきだと思っている」「(原発の中止や廃止を煽ることは)日本の将来を見据えた責任ある論評とは思えないのである」といった意見は、いかにも客観的で公平な判断のように聞こえます。しかし、価値中立的な言論などありません。その優劣を科学が決めてくれるというのも虚偽です。科学は何らかの前提の下に出発し、何らかの枠組みのなかに収められ、何らかの方向へと発展させられます。そしてその前提、枠組み、方向は科学以外の判断によって決められ、科学以外のものが科学の成果の優劣を決めるのです。「福島以降」の状況の中で意見を表明することは、このことに気づいているかどうか、結果として誰の立場に立つのかをはっきりさせることになります。
  
  考えてもみて下さい。これまで一度でも、学者や言論人、政治家が、大地震や津波が原発を襲い、電源喪失(ステイション・ブラックアウト)が起こる危険性を訴えたことがあったでしょうか。住み慣れた町からある日突然強制退去させられる住民の恐怖と怒りを、生活が破壊される悲惨さを、新聞をはじめとするマスメディアが思い描いたことがあったでしょうか。それどころか、福島第一原発の惨状を目の当たりにしても、いまだに危機は存在しないかのような報道を繰り返しています。原発を推進してきた当の大学教授たちが、冷静な口ぶりで現状を解説するのを見て怒りが湧いてこない人間を僕は信用することができません。原発安全神話を撒き散らし、データを改竄し、事故を隠蔽し、豊かな生活を維持するためには原発しかないと恫喝して、国民から選択肢を奪ってきたのは誰か。活断層を心配する住民の反対を押し切って原発を建設してきたのは誰か。そもそも単にお湯を沸かすだけのために、なぜこれほどコストをかけ、危険きわまりないグロテスクな装置を作らなければならなかったのか。原発はいったい誰のためのものなのか。自民党、東京電力、推進派の学者、メディアが作り上げてきた利権構造は、日本経済を破綻の淵に追いやっている大きな要因です。にもかかわらず、原発を止めれば日本経済が破綻すると言い張る人間を、アマルティア・センは「合理的な愚か者」と呼びました。
  
  その一方で、40年以上にわたって、一貫して原発の危険性を警告してきた京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は、「原子力の研究者でありながら福島の事故を食い止められなかったことを本当に残念に思うし、くやしい。国民の皆様に深くお詫びしたい」と言っています。結局は人間の良心の問題であり、正しさを知る力=徳の問題なのです。推進派の大学教授たちは一度でも国民に対して謝罪したでしょうか。
  
  以前、僕は『未来塾通信16』に次のように書きました。
  
 「72歳で生涯を閉じた作家の司馬遼太郎は、当時の日本社会を評して『人間には自傷症という病気があって、ひどい症状の場合には唇を全部食べてしまうそうですが、社会が自傷症にかかっているという感じですね。日本人はみっともなくなりました。もうだいたいこれで終わりなんでしょう』という言葉を残している」と。 彼がこの発言をしたのは、まさに後期戦後社会が始まった頃です。責任をとる人間がいないまま、お互いがもたれあいながら破滅への道を進む日本社会の行く末が見えていたに違いありません。
 
  変わるべき時に変われなければ、その国家は滅びます。日本は4つのプレートの境界線上にあり、火山と地震によってできた国です。そして私たちは今まさに周期的にくりかえされる大地震が迫っている状況の中で生きています。佐賀の玄海原発、福井県若狭湾の高速増殖炉もんじゅ、新潟の柏崎刈羽原発、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場のどれか一つでも直下型の地震に襲われれば、日本はチェルノブイリの周辺と同じように無人の荒野と化す可能性が高いのです。もちろん国際的には放射能汚染国家の烙印を押され、日本の経済および財政は完全に破綻してしまいます。日本にある原子炉はすべて即刻廃炉にするべきです。原発をすべて止めても、電力不足に陥ることはありません。東京電力は管内の原発すべてを止めても電力不足にならなかった事実を公表すべきです。政府は電力会社による送電線の独占をやめさせ、発送電の分離を一日も早く実現させなければなりません。しかしこのことは次回以降の通信に譲ります。
  
  最後に、「この国の希望はどこにあるのか」という問いに答えて、君たちへの返事を締めくくりたいと思います。25年前、僕は次のような話をしました。卒業生のM君は、今年5月の連休に遊びに来て、この話を正確に覚えていてくれました。
  
  一人の旅人が夕闇迫る森の中を歩いています。蓄積した疲労に加え、飢えと寒さが旅人の体力を奪っていきます。折から降り出した雪のために満足に歩くこともかなわず、旅人は死を覚悟します。その時、急に視界が開け、雪原の向こうに明かりが見える。旅人は最後の力を振り絞って雪原を横断し、一軒の家の前にたどり着きます。窓からは暖かい明かりがもれています。旅人は主人に簡単な食事と一夜の宿を請います。
  
主人は快く承諾し「寒かったでしょう。さ、早く中に入って暖かいものでもおあがりなさい」と言い、旅人の顔を見ます。そのとき、旅人の肩越しに、点々と続く足跡が月明かりに照らされて浮かび上がるのです。主人の顔は見る間に蒼白になり、旅人に言います。「あなたが歩いてきたのは、今朝からやっと氷が張り始めた深い湖の上です」と。

  今、地震列島日本の上には北海道から九州まで54基の原子炉があります。原発が安全だと信じ込むことは、この旅人と同じ状況にいるということです。実際は、いつ割れるかわからない薄い氷の上にいるのに、大地の上にいると錯覚する。あるいは錯覚させられる。そして、薄氷の上で死の舞踏を舞い続ける。しかし今回、福島の原発事故で錯覚であることがはっきりしました。現実に氷は割れ、多くの人が湖の底に沈みました。それでも割れたのは一部だから自分が立っているところは大丈夫だと信じている人がいます。「あなたたちが立っているのは、いつ割れるかわからない薄い氷の上です。氷が割れて全員が湖の底に沈むのを想像してください。ここではない、すぐ隣にある大地の上に移動しましょう」と言える勇気と想像力を持つこと。この国の希望はそこにあります。
  
  以下はこの2ヶ月余りの間に僕が読んだ本のリストです。中身について語り合える日が来るといいですね。
  
  (1)『原子炉時限爆弾』広瀬隆:ダイヤモンド社
  (2)『福島原発メルトダウン』広瀬隆:朝日新書
  (3)『隠される原子力・核の真実−原子力の専門家が原発に反対するわけ』小出裕章:創史社。生きかたを含めて僕が現在最も信頼している人です。「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」は毎日必ずチェックしています)
  (4)『原発と地震−柏崎刈羽「震度7」の警告』新潟日報社特別取材班:講談社
  (5)『知事抹殺』佐藤栄佐久:平凡社
  (6)『原発に頼らない社会へ』田中優:ランダムハウスジャパン
  (7)写真集『チェルノブイリ・春』中筋純:二見書房
  (8)『百年の愚行』紀伊国屋書店
  (9)『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ:早川書房
  (10)『日の名残り』カズオ・イシグロ:早川書房
  (11)『内藤廣と若者たち−人生をめぐる18の対話』内藤廣:鹿島出版社
  (12)『新リア王』(上)(下)高村薫:新潮社
  (13)『合理的な愚か者』アマルティア・セン:勁草書房
  (14)『東北学・忘れられた東北』赤坂憲雄:講談社学術文庫
  (15)『変わる価値』北川一成:ワークスコーポレーション
  (16)『わたしが情報について語るなら』松岡正剛:ポプラ社
  (17)『場のデザイン』槇文彦・三谷徹:彰国社
  (18)『建築依存症』安部良:ラトルズ