未来塾通信25


初心忘るべからず

■数日前、昔使っていたテキストのページをめくっていたら、四つ折にされた一枚のルーズリーフが足元に落ちた。生徒直筆の合格体験記だった。二人とも私に強烈な印象を残して同じ年に卒業していった女子生徒だった。Nさんはすばらしい文学的感性を持っていて、よく小説や作家の話をしたものだった。立教大学を卒業後、新卒採用者4〜5人という超難関の講談社の就職試験に合格した。写真家で作家の藤原新也氏と会ったときの事を、うれしそうに話していたのを思い出す。Hさんは中央大学を卒業後、一橋大学大学院へ進学し、大学院の修士論文をわざわざ塾まで持ってきてプレゼントしてくれた。現在は野村総研で働いている。学歴に関係なく、二人は実社会での活躍を予感させる生徒だった。Hさんは授業の後、私に次々に質問した。その質問の仕方が独特で、私は感心することしきりであった。まず自分ですべての問題を解いてきて、「先生、ここはこれでいいですか?」と私に確認するのである。「うん、正解だね」というやり取りがしばらく続くのである。「ここは間違っているね」「どうしてですか」「まず第一に、・・・・だからね。次に名詞の数え方が間違っている。第三に、時制が現在時制ではおかしいだろう」「なるほど、そうですね、まったく気がつきませんでした。でも英語って単純というか、奥が深いというか、わかってくると面白いですね」というようなやりとりを自習室でしていたのが、つい昨日のようである。合格して余り日が経っていないときに書いたものだから、話し半分に聞いたほうがいいのはもちろんだが、二人の個性が出ていて面白いのでここに再録してみよう。

N・京子さんの合格体験記

 私は小学校6年のときに未来塾に入塾し、英語を全くの初歩から学びました。あれから7年になります。今から思うと、先生との出会いが英語との出会いだったのです。幸運だったというほかありません。未来塾にはいろいろな人がいてにぎやかで、一般的な塾のイメージを見事に裏切ってくれます。実力がついているかどうかだけを見て、テストの点数を過大評価しない先生の態度のおかげで、本当に楽しく、自由に勉強ができました。英語力をつけるために先生に教わったことは数え上げればきりがありません。そのどれも学校では決して教えてくれなかったものです。「ひたすら音読したり書いたりする泥臭い勉強は絶対に必要だ。とにかく一冊のテキストを覚えてしまいなさい」「英語は名詞中心の言語なのに、名詞の数え方が分からなければ英語が分かるはずがない。一生懸命英語を勉強した人が最後に言い出すのが、冠詞がわからない、だ」「英語は左から右へ、因果関係の連鎖で読むようにできている。右から左に呼んだ瞬間に、英語ではなく日本語の発想になる」「英語は次々に細かな情報を付け足していく言葉だ。文法の図解で、修飾などと言って後ろから前の語句に矢印が付いている参考書は捨てたほうがよい」などあげればきりがありません。先生の話す勉強の方法論は、最新の言語学の知識を取り入れていて、他の分野の学習にも応用がきくのです。巷の参考書では「最小の努力で最大の効果を」などとうたっていますが、そんなおいしい話があるはずがありません。受験生なら誰でも楽をしたいでしょうが、人より頭一つ抜き出るには、人の倍は努力しなければならないという現実に早く気がついた人の勝ちです。要は、その努力が報われる勉強方法をとっているかどうかです。そして模試の結果はあくまで目安です。本番で最高の力が出せれば良いのです。私は第一志望校の早稲田には合格できませんでしたが、それは相応の努力をしなかったからです。それだけのことです。受験は世間で言われているほどつらい、灰色のものではありません。目標を掲げてそれに向かって努力する過程で、人間的にも成長することができるのです。そして、どうせなら勉強を楽しみたいものです。そういう心の余裕を教えてくれたのも、他でもない未来塾だったのです。未来塾は私にとって、もう一つの生活の場所でした。「未来塾はどんなところ?」と友人に尋ねられるたびに、私は返答に困りました。私には先生のことをうまく紹介することができなかったのです。「とにかく行って見なければ何も分からない場所だよ。」と言うのが精一杯でした。誰が行っても、先生は快く迎えてくれると思います。そして、未来塾の高校部は知的な興奮に満ち満ちています。楽しくて有意義な学生生活を送りたい人にぜひおすすめです。
 
H・尚子さんの合格体験記 

 私にとっていわゆる塾は、この世で最も信頼できないものの一つでした。塾に行かなくても昔は優秀な人はたくさんいたし、学校と同じ内容を教えるのであれば何も塾に行く必要はないからです。わざわざ余分な出費をして親に迷惑をかけたくなかったということもあります。私の通っていた高校は、私立の特別進学コースで、優れた先生方が質の高い授業を少人数制で行い、かつ授業時間数も多いという受験には完璧な体制が敷かれていたのです。学校でこれだけきちんと勉強しているのに、英語が今一歩できないのは、英語が決定的に肌に合わないからだと思うのも無理はないですよね。そんなとき、英語が抜群にできる友人のNさんに未来塾のことを聞き、とにかく見学だけでもいいから一度行こうと誘われたのが未来塾に入ったきっかけです。最初に授業を受けたときの感想は言葉で表せるものではありませんでした。5年間苦しんで、闇の中をさまよって、先生に出会い、私の英語コンプレックスは吹き飛んだのです。私は中学校の3年間と高校の2年間、受験戦争を生き抜くための手段として英語を学んできました。そのような生活の中では、言葉に対する愛情などとうてい持ちうるはずはありません。塾で先生の授業を聞きながら、私の考えが間違っていたことに気づいたのです。本物の基礎力があれば英語はやさしいのです。そして、その「基礎」を徹底的に、文字通り「はじめて」先生に教わったのです。過去の私も含めて、英語アレルギーの生徒の大部分は、ほとんど説明されずに飛ばされてしまう英語の本質的な発想を、全く理解できていないのです。無理もありませんよね、習っていないのですから。大学受験を控え、せっぱつまった最後の一年間でいきなり英語が分かるようになったのは、自分の考え方の誤りを認め、プライドを捨て、先生の指導の下、英語の初歩からやり直したからです。今までのことを振り返り、とにかく残念に思うのは「もっと早く先生に出会っていれば」ということだけです。特にこれから英語を勉強しようと考えている中・高校生に、私のような経験をしないで済むように、未来塾を勧めたいと思います。
 
 私は生徒に合格体験記なるものを書いてもらうのは2回でやめた。塾の自己宣伝のために生徒を利用することが恥ずかしかったし、私の授業と合格の間に因果関係があるのかどうか、生徒の主観を別にすれば、極めて怪しいと思うからである。しかし、こんなことを言っていたら塾商売は成り立たない。わずか数回の授業を受けただけでも、因果関係ありと勝手に判断して、「合格実績」という数字で大々的に宣伝するのが塾産業である。私は自分に嘘をつきたくはない。中学や高校での日々の授業の受け方や地道な予習・復習、生徒が生得的に持っている素質の方が、合格との因果関係ははるかに大きいと思う。にもかかわらず、ここに二人の合格体験記を再録したのは、書くことを快く引き受けてくれ、あっという間にこれだけの文章を書き、「先生、長い間ありがとうございました」と言って、ぺこりとお辞儀をして去っていった彼女たちのすがすがしさを思い出したからである。そしてなにより、当時のことを思い出しながら読んだ私が元気をもらったからである。凡庸な塾教師に過ぎない私の財産は、こういった生徒たちとの思い出だ。初心忘るべからず、である。