未来塾通信24


限りなく気が滅入る話 ー 続・英語教師を採点する

■以前『未来塾通信8』に、自らの浅学をかえりみず、英語教師を採点すると題して駄文を書いた。自らを俎上に載せ、あちこちから批判の矢が飛んでくることを覚悟していたのだが、逆に、勉強熱心な高校生や先生方から、メールやファックスで感想が届き、添削の依頼があった。その間、寄せられた情報を元に『未来塾通信18−あきれた塾の実態』を書いた。その後、この塾の塾長は、ブログに載せていた「英検1級・津田塾大学卒」という自己紹介を削除し、英語に関する記事はなくなり、今は育児日記になっている。久しぶりに彼女のブログにアクセスしてみると、「英語がすらすら読めるようになる方法を、 B4のプリント3枚にまとめた。外部生に見せられないのが残念」とあった。意識せずに誇大広告的言辞を弄する癖は相変わらずである。B4のプリント3枚で英語がすらすら読めるようになる方法など存在しない。英語という言語の奥深さ、いや、そもそも外国語学習につきまとう困難さを、私は日々痛感しているので、ボケでもしない限りこんなセリフは吐けない。もっとも、『聞き流すだけで、ある日突然、英語が口をついて出てくる』というような宣伝が、新聞や雑誌でまことしやかに流されるご時勢だから、この塾長だけを非難するのは酷なのかもしれない。『通信18』の最後に書いたN開センターの講師に比べれば、まだましなのだろう。

 さて、これまでに寄せられた質問に対する私の感想はといえば、限りなく気が滅入るというのが正直なところである。世間で英語教師(学校・塾・予備校を問わない)といわれている人たちの答案を大量に見る機会に恵まれたことで、私は眠れない夜を過ごすことになった。メールをくれた人に、ほぼ毎回のように「これは本当に先生が書いた答案なのですか?」と念を押さなければならなかったからだ。具体的な答案を突きつけられて、遅まきながら私は気がついた。答案を見て気が滅入るということは、先生といわれる人たちに、まだ、どこかで、期待をしていたからだと。個人としての教師に期待することはあっても、漠然と教師集団に期待することはできないのだと、今更ながら思い知った次第である。センター試験の平均点が、大分県は全国で下から数えて2〜3番目 (平成20年は下から数えて7番目に躍進?している)というのも納得できた。ちなみに、小中学校の段階で学力日本一の秋田県、二位の福井県はそれぞれ35位、24位となっている。秋田や福井の子どもたちが小学校、中学校で培った高い学力は、高校生になると急速に衰えているのだが、その原因の分析は別の機会にゆずりたい。

 教師としての経験も問わず、ましてや英語力を判定することもなく、アパレル産業や接客業から転職する人を時給で雇い、即席の教師に仕立て上げ、教壇に立たせる全国チェーンの塾の講師の(特に高校入試対策向けの)答案のレベルの低さは思い出したくもない。彼らは英文を書くためのイロハさえ知らない。教材会社のテキストをあわただしくこなしているだけである。試しに、小学校3年生の国語の教科書をみせて、英語に直してくださいと頼んでみてはどうか。彼ら全員が蒼白になって立ち往生するのは目に見えている。合格者の数字だけに釣られて、こういった類の塾に子どもを通わせる親のリテラシーの低さは言わずもがなである。塾は講師の個の力量に大きく依存しているはずなのだが、現在では、授業形態(集団授業か個別か)や時間や費用だけを問題にし、授業の中身に関心を持つ親は少なくなった。合格実績という、不透明でいくらでも操作可能な数字が、リテラシーの低い親の頭の中にいつのまにかインプットされ、知のマクドナルド化は加速している。要するに、人々は価値判断を放棄し、マーケットにすべてをゆだねつつあるのだ。しかし、このことについてはまた改めて述べたい。

 だいぶ前のことになるが、高校生のクラスの授業で、脱線の与太話ついでに、慶応大学教授の小此木圭吾氏の翻訳本の、あまりに人を馬鹿にした、学者としての良心のかけらもない、誤訳・デタラメ訳について指摘したことがあった。「あのときの先生はかなり怒っていましたね」と、元塾生が遊びに来たときに、いまだに覚えていて言うくらいである。しかし、氏のおかげで、私は大学教授という肩書きなど一切信用できないと思い知り、学問に対するリテラシーを鍛えることとなった。おかげで、養老孟司氏や内田樹氏の珍説・放談本の類は目次を見てページをパラパラとめくるだけで中身が分かるようになり、時間とお金を節約できるようになった。

 今回は、高校生K君が送ってくれた答案について私の見解を述べ、他人の答案にコメントするのは最後にしたい。より生産的なことに時間を割きたいと思うからだ。

 さて答案である。「琵琶湖では毎年のように大量の魚が死んでいる。言うまでもなく、これは湖水の汚染が原因だが、その汚染を防止する有効な手はいまだに打たれていない」という文を英訳したもので、下線部をK君は次のように書いて、8割の得点をもらっていた。The effective way which prevent the cause have not been discovered yet. 以下は K君が通っている○○予備校の先生のコメント。「which は wayを受けているので prevent には3単現のsがつく。おなじ理由で have も has になる。英作文では文法的な誤りをしないことが肝心である。他はとてもよくできている。英文の型もよい。この調子で頑張れ!」

以下は私がK君に送ったメールである。 「K君、前置きは抜きにして僕のコメントです。残念ながら、今回の君の答案は0点です。君の先生が言うように3単現のsを忘れ、has を have にしたのはうっかりミスでしょう。しかし、こういったミスはたいしたことではありません。君の答案の致命傷は以下の3点です。The effective way の the、which prevents という言い方、discover という動詞の誤りです。なかでも文頭の The は、これ一つで致命傷です。なぜいきなり「その有効な方法は・・・」などと始めるのですか。The effective way で始めれば「すでに存在しているその有効な方法」という意味になります。「すでに存在している有効な方法」が「まだ発見されていない」とはどういうことですか?意味不明です。君は the にそんな意味があることなど知らなかった、そんなことは習っていないというでしょう。しかし、これは習っていないで済まされる問題ではありません。ご存知のように、名詞は主語・目的語・補語になり英文の根幹をなします。その名詞の数え方という、英語でもっとも大切な箇所なのです。以前、塾の生徒が、最初に出てきた名詞には a をつけ2回目からは a が the になると学校の先生に習ったと言っていましたが、間違いです。たとえば、北朝鮮の軍隊が日本に侵攻 (invasion) するといった架空のことを論じる場合、invasion は、何度言及されても an invasionです。the invasion に変わる事はないのです。このことを正確に理解している人は、仮定法の would が不定冠詞の a(an) と相関関係にあることを、容易に理解できるはずですが、今はこれ以上触れません。問題に戻りましょう。この下線部を英語に直すと、No effective steps have been taken yet. と否定の主語から始めた文にすべきです。それが英文の型です。『英文の型もよい』との君の先生のコメントは、英文の型を知らない人のコメントです。次におかしいのが which prevents です。prevent に s をつけたら文法的に正しいのではないかと考えるようであれば、それは見当違いもはなはだしい。それは形の上だけでの文法を振り回しているに過ぎません。その程度の理解では、この先英語力が伸びていくことをまったく期待できません。which prevents がおかしいのは、第一に、「その方法が・・・を防止する」という言い方になって、英語としての論理が通りません。わかりますか?第二に、百歩譲って、かりにそれを大目に見るとしても、prevents というのは現在時制です。動詞の現在時制は、現在の習慣的動作を表します。すると、which prevents という英語は「ふだんつねづね防止している」という意味になります。問題では、その方法はまだ発見されていなかったのでしょう?なのに、「ふだんつねづね防止している」では意味が通らないのではありませんか。こういう英語を書いてはダメなのです。3人称単数の s の問題とか、琵琶湖には the をつけるかつけないか、といった問題は、僕が今指摘した問題から見れば、枝葉末節の問題で、たかの知れたことです。文法的に正しい文を書いていれば減点されないというときの文法の捉え方が、君の先生と僕とではずいぶん隔たりがあるようです。

 これで今回の君の答案が0点だということがわかってもらえたでしょうか。0点はひどい。部分点くらい付くのではないか、と期待するようでしたら、それは甘すぎます。合格点をクリアするためだけに勉強するのと、本物の英語力をつけるために勉強するのとでは天と地の開きがあるのです。君の志が高ければ、今回の問題の背後に、日本の英語教育にまつわる病巣が見えるはずです。君からのメールは今回で4通目です。過去のメールから判断すると、君は少なくとも英語を、ただ暗記するするだけではなく、理解しようとしています。その態度はとても貴重だと思います。どうか、これからもその姿勢を持ち続けて、念願の大学合格を勝ち取られることを祈っています。」

 これには後日談がある。K君が私のコメントを参考にして、当の先生に質問したところ、「君の質問は余りに細かいところにこだわる屁理屈だ」と言われたそうである。やれやれ、大学教授から予備校講師にいたるまで、まともに英語が分かっている人は、この国には一体どのくらいいるのだろうか。斎藤秀三郎が生きていたら、きっと、この教師の知的不誠実さを永久に許さなかっただろう。