未来塾通信20


塾教師四半世紀

■教師をしていた父が急逝し、妻と子どもをつれて大分に帰省したとき、私は29歳でした。30歳で塾を始めたとき、上の娘は4歳で、私が作った手作りのチラシを興味深そうにながめていました。「これは余ったチラシだから絵を描いていいよ。ところで、お父さんは塾の先生をしてみようと思うんだけど、生徒さんが来てくれるかなあ?」「うん、お父さんの塾ならきっと来てくれるよ!」と、娘は元気な声で答えてくれました。もちろん塾の意味など知る由もありません。春の陽光が障子を透してやわらかく畳の上に落ちている午後でした。まるで昨日のことのようです。本家の座敷の横の6畳の廊下に黒板と机を3つ、それにイスを並べてとりあえず教室はスタートしました。その小さな狭い世界が私の職場で、生活費を稼ぐ唯一の場所でした。生徒は5人、月10万円に満たない収入で、それでも何とか生きていました。生まれたばかりの次女の世話をしながら、妻は不平一つ言わず、その少ない収入の中から生徒におやつを作って出してくれました。あの頃の生徒は、私の授業よりも妻のおやつを楽しみに来ていたに違いありません。田舎に帰って一番心配していたのは、子どもの友達がいるだろうかということでしたが、塾の生徒によく遊んでもらいました。

 何の保障も後ろ盾もなく、将来を構想できるだけの経済的・精神的余裕もなく、ここで生きるしかないと決心し、一円の貯金もできず、ただ一日一日を懸命に生きていたように思います。選択の余地がない、ということは、人間を幸福にすることもあるのだと、振り返ってみて思うこの頃です。あれからあっという間に四半世紀がたち、その間いろいろなことがありました。個性豊かな子どもたちとの交流はゆうに一冊の本になるほどですが、それはまたの話にしましょう。私が塾教師を始めたときに、これだけは守り抜こうと決めたことがいくつかあります。そしてそれは、25年を経た今でも変わっていません。その一つが、合格者数を塾の実績として大々的に宣伝しない、ということです。

 塾の「実績」とは何でしょうか。塾生がたまたま難関大学に合格したらそれが塾の「実績」になるのでしょうか。たとえば、高校3年生の夏期講習会からA君が入塾してきます。もともとかなり学力レベルの高い生徒で、塾内でもいきなりトップクラスの成績をおさめます。塾ではよくあることです。センター試験までの通塾期間は半年ほどですが、九州大学の医学部に合格しました。私は半年間塾に通ってくれたことを彼に感謝するだけで、「九州大学医学部合格!」という派手なチラシや新聞広告を打つことはどうしてもできません。どう考えても、彼の合格は彼自身の能力によるものだからです。またあるときは、高3の始めにTさんが入塾してきます。中学3年生程度の英語力しかありません。しかし、私の言うことを100%信じて勉強し、センター試験の英語で200点満点中197点を取ります。そして第一志望校の慶応大学へ合格しました。この場合でも彼女の勉強ぶりを目の当たりにしていればなおさら、合格は彼女自身の努力によるものだと私は確信せざるを得ません。

 もともと生徒に能力があり、一日の大部分を学校で過ごしているのに(学校の学習時間は塾の学習時間の何十倍にもなります。学校での学習の質や充実度こそが合格に深くかかわっていることは余りにも明白です)、合格を塾のせいにして大々的に宣伝するには厚顔無恥な金儲け主義と勉強すれば子どもの能力はいくらでも伸びるというイデオロギーが必要です。しかし現実は、中学2年の後半から中学3年にかけて、生徒の学力差、能力差は固定化してきます。生徒の学力を伸ばそうと努力すればするほど、このことを実感せざるを得ないのです。この差は教師が教え方を工夫することで乗り越えられる性質のものではないというのが、私の経験的な確信です。塾がしきりに「勉強の仕方」の重要性を強調するのは、塾には学校にはない学力を伸ばすノウハウ(塾が勝手にあると信じているだけです)があって、この限界を突破できると言いたいためです。しかし、知的能力を伸ばす方法が学校と塾で本質的に違うはずはありません。私は生徒が生得的にもっている限界(どんな生徒にもあります)を認めます。そして生徒がその限界の中で努力し、わずかに残された可能性をさぐろうとすることに付き合います。なぜなら、自分の限界を見つめ、努力することが、生徒を人間として成長させるからです。

 私の塾の卒業生であるO君(人間的にも知性においても素晴らしい生徒でした)が、大学生時代に、ある大手の塾でアルバイトをした時のことです。彼は出来の悪い生徒が気になり、なんとか成績を上げようと努力していました。ところが教室長に呼ばれ「出来の悪い生徒をいくら指導しても成績は伸びない。君もそのくらいのことはわかっているはずだ。どんなに頑張ったところであの生徒はせいぜい○○高校に合格するのがいいところだ。それじゃ塾の実績にはならんだろう。能力のない生徒を相手にする暇があったら、有名校に合格しそうな生徒を指導するように。とにかく君は優秀なんだから、明日からは出来る生徒のクラスを指導してもらう、これは室長の業務命令だ」と言われたそうです。O君はその夜、電話でアルバイトをやめることを塾に告げました。

 学校の教師であれ塾教師であれ、普通の感覚を持った人間として、この宿命的とも言える生徒の学力差に向き合うとき、合格した生徒だけを金儲けのために利用する気には到底なれないはずです。しかし、悲しいかな、こうやって作られる塾の「実績」をうのみにして、さながら回遊魚のように子どもの手を引いて塾を転々とする保護者を見かけます。以前、連れてきた子どもとの面談で「問題集、もってる?」とたずねたところ「親が買ったのがあります」と答えた子どもがいました。この「親が」とクールに言い捨てる言葉のなかに、自分とは関係のない「親」なるものが何か勝手に一生懸命になっているだけさ、というメッセージがこめられているようでした。そういったせりふをはく、どちらかというと勉強のできる子どもたちの心の底にひそむ、静かな、ほとんど殺意と見まごうような冷えびえとした情念。日々の生活の中での些細な感情のすれ違いが臨界点に達し、この青白くくすぶっている情念に火をつける。そして世間を騒がせる事件へと発展する。これは私の思い過ごしでしょうか。

 教育の論理(製品ではなく、人間としての子どもたちにどう向き合うのかということ)と企業の論理は本質的に両立するものではありません。しかしここ十年くらいの間に、企業の論理(弱肉強食原理の中で極限までコストを切り詰めることによって競争に勝ち、結果を数字で出すこと)が、塾というフィルターを通して公教育の現場にも深く浸透し、教師自らが進んで企業経営の言葉で教育を語るようになってきました。現在の社会では、子どもたちの学力格差が親の経済格差とパラレルに進行しています。公教育の衰退と荒廃は、企業の論理に対抗できる、人間の実存に発したことば=論理を構築できなくなったというまさにそのことを意味しています。

 ゲーテは「母親というものは、世の中がどんなに腐りきっていても、その世の中に子どもを適応させようとするものだ」と言いました。母親の子どもを思うがゆえのエゴイスティックな暴走に歯止めをかけていたはずの父親も、現在では競争社会の中で心身をすりへらし、企業の論理を深く内面化して言葉を失っています。公教育の現場で、教師と生徒が本当にのびのびと学び、すべての子どもに人間としての矜持をもたせるような教育が行われていたとしても、いや行われていれば尚のこと、そこに競争原理が働いていないということだけで、否定的な評価を下す大人が多くなっているような気がします。しかし、かろうじて人間を生き延びさせているのは、子どもが小さかった頃の思い出を語ることばであり、利害を超えてお互いを思いやる平凡なことばではないでしょうか。人は企業の論理、経済のことばのみにて生きるにあらず、です。自分の子どもだけが人の何倍も稼ぎ、自分の家族だけが幸せでいられるような、そんな社会が果たして存在するのか。このことを本気で考える時期が来ているのではないでしょうか。

 少し脱線してしまいました。合格であれ、不合格であれ、結果はすべて子どもたちに返さなければなりません。結果を引き受けるのは子どもたち自身なのですから。合格という結果がすべてであるかのように塾が宣伝・吹聴することは、学ぶ過程で子どもたちが味わう苦しさや楽しさの価値を貶めます。なぜなら、学ぶ行為はそれ自体で価値のあるもので、結果によって否定されるものではないからです。合格したのはあの先生のお陰だと子どもたちが一瞬間、内心で思ってくれれば私はそれで十分です。ともに学んだことの意味を忘れず、結果を自分のものとして引き受けることができるような人間になってほしいと願って、私は日々子どもたちと向き合っています。