未来塾通信15


生涯一塾教師

■ 2月17日に下の娘の結婚式があった。親の責任を果たした安堵感と、潮のように押し寄せてくる寂寥感が入り混じって、数日ぼーっとしていた。結婚式に先立つ数週間、私は塾の講義室と書斎にある書籍を片付けた。とにかく半分は処分しようと思い立ち、昼間や塾の授業が終わった後、自分の人生に区切りをつけるようにして整理していった。その中に二人の娘が使っていた問題集が混じっていた。できの悪かった下の娘の問題集はバツだらけだ。そのバツをつけたのは私だ。「なぜこの程度の問題ができないんだ!」と叫んでいるような赤いバツ印だ。あの時、娘はきっと心をこわばらせ、父親の期待にこたえられない自分のふがいなさを責めていたに違いない。私がそばで教えながら叱ったとき、エンピツをかたくにぎりしめ、テキストの上に涙をこぼしていた。「この問題を解いてお父さんを喜ばせてあげたいけど、私、頭悪いから解けません。ごめんね」と娘は言いたかったに違いない。ああ、何と心ない親だったのだろうと思う。人間は壊れたハーモニカのようなものだ。すべての音を完璧に出せる人間などめったにいるものではない。娘はおそらく、ド、ミ、ソしか音の出せない壊れたハーモニカなのだ。なのに、「なぜレが出せない!ファとラも出なければ曲が演奏できないだろう!」と私は娘をなじった。「全部の音は出なくてもいい。その代わり、ド、ミ、ソだけは誰にも負けないくらいきれいな音が出るように練習しよう。そうして懸命に生きていればきっと、レとファが出せる人、ラとシとドが出せる人に出会えるよ。そのとき、心を一つにして曲を演奏すればいいじゃないか。それが協力するということだよ」と、どうして言ってやれなかったのだろう。私はバツだらけの娘の問題集をにぎりしめて、思わず落涙してしまった。そういうわけで、書籍の整理は遅々として進まなかった。それでもなんとか気を取り直してヒモでくくって古雑誌の日に出し、半分は裏庭に穴を掘って焼却した。勢いよく燃える炎の中に、若かったころ読んだ本を投げ込んだ。ところどころに線が引いてあって、そこを読むと、線を引いたときの自分の気持ちが鮮やかによみがえり、私はしばしその場に立ち尽くした。こうして都合数千冊余りの書籍は数日間燃え続けた。

父が死んで帰郷し、塾教師になったことを私は宿命だと考えている。「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である」と述べたのは、小林秀雄だ。私は「塾教師でしかありえない自分」を発見し、それを人生のめぐりあわせとして受け入れ、たいしたことのない自分の取り柄を自覚して、生徒一人一人と向き合おうとしてきた。うまくいったこともあれば、失敗したこともあった。たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたま居合わせた場所で、世のめぐり合わせや不条理と向き合い、格闘し、多少落ち込むことはあってもなんとか立ち直り今日まで生きてきた。後悔はしていない。24年間、地域にこだわり、分教室を出さず、自分にできることを地道にやってきたと思う。これからも、命数の尽きるまで、平凡な一日一日を丁寧に生きようと思う。娘の結婚式のスピーチで私は言った。「人生でもっとも大切なことは、平凡な一日一日を丁寧に生きることです。世間から注目されたり、賞賛されたりすることで、この平凡な日々の大切さを忘れないようにしなさい。家族のために黙々と働き、誰からも注目されず、誰からも賞賛されず、人知れず死んでいった平凡な人の人生こそ輝いているのだということを心に留めておきなさい。元気でがんばれよ」と。