未来塾通信11


個別指導という少子化時代の落とし穴

■ 毎年この時期になると私の塾は活気づきます。合格の報告とお礼にやってくる生徒や保護者、就職が決まって都会へ出ていく大学生、春休み中の大学生、自習室で勉強する高校3年生、私がまだ生きているか確かめにやってくる社会人、入塾の申し込みに来る人などで、一日があっという間に過ぎていきます。22年も塾をやっていると色々なことがあります。もちろん、愉快なことばかりではありません。突然塾をやめて数ヶ月分の月謝が未納のままの人、塾を利用するだけ利用して何の音沙汰もない人。人それぞれです。塾を経営している以上、教師と生徒の関係を、サービスの提供者と消費者という関係で割り切っている人もいますが、それもやむを得ません。ただ、勉強の出来不出来にかかわらず、人間として素晴らしいと思う生徒との関係は不思議と続くものです。それが塾教師のささやかな喜びの一つです。

 ところで、最近、入塾の申し込みに来る人の中に、「先生、授業中、うちの子どもをあてますか?」という質問をする親御さんが、数は少数ですが、見受けられるようになりました。個別指導を期待されているのかもしれません。

私はニコニコしながら「そうですね、私の塾では一回の授業で、最低一人に十回はあてます。知識がないから問題が解けないのか、知識があってもそれを応用できないから解けないのかをはっきりさせたいからです。そして、知識があってもそれを応用できないのは、問題の背後にある、その分野の根本的な考え方を理解していないからだということに気付いてもらうのです。そうしなければ、どこをどう勉強すればいいのか、生徒はわからないままです。

私の塾では授業の80%は生徒との問答で成り立っています。ですから、生徒にあてずに授業をすることなど考えられません。あてられて間違ったら恥ずかしいとか、人に笑われてバカにされるのではないかと不安なら、まずそういった気持ちを克服することが必要だと思います。

実力をつけるためには、なんといっても学ぶ意欲が大切ですよね。で、その意欲は、いつ、どこで、どんな仲間や教師と学ぶのかという学習環境に大きく依存しているんです。学習は仲間とコミュニケーションをとりながら、教えたり教えられたり、他人の答えに触発されたりするからこそ、長くやっていけるのではないでしょうか。」と答えます。

それでも、不安そうな顔をした親御さんはさらに質問を続けます。「先生のところでは1学年の生徒さんは何人ぐらいなのですか」「そうですね、学年によって多少のばらつきはありますが、1クラス10人くらいの小さな塾ですよ。」と答えると、落胆の表情がはっきり見て取れました。「そんなに多いのですか?帰ってもう一度子どもと相談してみます」と言い残して帰っていくのです。

 最近これとまったく同じ質問を父親にされました。将来、自分の子どもを一人前の社会人として自立させるためには何が必要なのかという観点がすっぽり抜け落ちているのです。せめて父親には、こういった観点を持って子育てをして欲しいと思うのですが・・・。

こういった親御さんの話によく耳を傾けていると、「自分の子どもを評価してくれる先生=良い先生」「自分の子どもを叱る先生=悪い先生」という、驚くほど単純な等式が頭の中で成り立っていることに気づかされます。自分の子どもにはなんらの落ち度もないと考えているのでしょうか。一昔前の常識的な親なら、「先生が自分の子どもを厳しく叱ってくれるのは、子どものことを本当に思ってくれているからだ」と考えていたものです。幼稚で自我が社会化していないからこそ持てる全能感は、それと気がつかない間に、子どもたちだけでなく、ある種の親の中にも深く浸透しつつあるようです。この点に関しては未来塾通信6『学力低下は塾のせい?PART2− 今、賢い親は何をすべきか−』の中で詳しく取り上げています。もちろん、入塾に来る大部分の親御さんはこんな質問はしません。そこにまだ私は健全さと救いを見出しているのですが。

 ところで、塾教師という立場から20年以上にわたって子どもの発達段階を観察していると、13歳から14歳(中学校2年生)くらいから、共通の学習内容による指導がほぼ限界に達するのがわかります。つまり、学力差、能力差が固定してくるのです。能力がぬきんでている子、普通に授業についてこられる子、何度教えてもわからない子などの格差がはっきりしてきます。これは教師の教え方のまずさなどに還元できないというのが私の経験的な確信です。

誤解をおそれずに言うと、もはや大勢はほぼ決しているのです。この時期から、いわゆる机の上の勉強に向いている子どもと向いていない子どもの区別がはっきりしてきます。抽象的な思考や知識を体系化することに向いている子どもは、おそらく全体の1割にも満たないだろうと思います。そして、こういった分野はどちらかと言うと、彩り豊かな、活気に満ちた魅力的な世界ではありません。人が生きていく上で必要なのは、WBCで王ジャパンが見事に示してくれた、集団で一つの目標に向かって全員がまとまった時のお互いに対する信頼感と、その信頼に応えようとする自己犠牲的なひたむきな行動なのです。

 イチローと松坂が、「優勝した瞬間、もうこのメンバーと別れなければならないのかと思って寂しさを感じた」と言っています。他のメンバーもきっと同じ思いだったにちがいありません。人はこういった感情を味わうことで、自分が周囲に支えられ、生かされていることを痛切に感じるのではないでしょうか。生きていく力を生み出す原点にある真正な感情は、一人で孤立している状況からは決して生まれません。若い人たちが学習する場は、自閉的ではなく、同世代の仲間と絶えず刺激し合い、助け合う場でなければなりません。私は、そういった場を学校外に作り、若い人たちが社会に向かって歩いていける橋を架けたいと思って日々を送っています。