未来塾通信 8


生きていたシーラカンス ー 英語教師を採点する ー

■他の塾はどうかわかりませんが、私は中学校や高校の定期テストの問題を生徒から見せてもらうことは余りありません。塾によっては、中間・期末テスト問題のデータベースを業者から買って、それをプリントアウトして生徒にやらせているところもあります。また、地域密着型の塾では、その地域の学校の過去問を数年分手に入れ、解答を書き込み、生徒に配って暗記させているようです。塾は中間・期末テスト対策をするところだと,生徒も親も思っているのかもしれません。しかし私の塾では、テストの予想問題を解かせるようなことはやりません。理由は未来塾通信1『学力低下は塾のせい?』に書きました。それでも、テストが終った直後、生徒が問題を囲んであれこれ話をしているときに、問題を見せてもらうことがあります。2〜3分眺めた後、私は感想を述べる気にならず、しばし暗い気持ちになるのです。テスト問題は、生徒の日々の勉強を方向づける力をもっています。やりようによっては、生徒に本物の学力をつけることができるのです。たとえば、英語のテストを次のような内容にしたとします。

 (1)中学で英語を習い始めて最初の2年間は、中間・期末テストは、リスニングの問題だけにする。

 (2)リスニング力をつけるには、語彙力と文法力が欠かせないので、英作文のテストを月末ごとに行う。これはペーパーテ スト。日本語を英語にする問題50問。穴埋めや並べ替え問題ではなく、実際に英文を書かせるようにする。

 (3)スピーキングの力は、適当な長さの英文を班毎に与えて暗唱させ、学期末にコンテストを行い、班の得点を個人の 得点とする。

(1)〜(3)の合計点をその学期の生徒の成績とする。

  こうすれば、教師の教え方も、生徒の日々の学習も今とはまったく違ったものになるはずです。学校のテストは、平均点が6〜7割前後になるように作られています。完成した英文を書くよりも記号で答えれば済む問題の方が多いのです。英語力を測るにはあまりにもお粗末で、私が暗い気持ちになるのはそのためです。塾で英作文のテストをすると10〜20点しか取れない生徒でも、学校の定期テストでは70〜80点取れるのです。私は難問を出しているわけではありません。素直で基本的な問題を出しているだけです。塾は生徒に点を取らせる場所で、テストの中身を検討する場所ではないとすれば、塾がテストの中身を批判することはタブーとなります。さらに、塾は生徒に少しでも楽をして点を取らせるべきで、わざわざ苦しい思いをさせる場所ではないという考えが当たり前になれば、生徒を厳しく叱ることもできず、塾は遊び場か単なる社交場になります。現にそうなっているのです。そうなると、逆に、そんな社交場と化した塾に高い月謝を払って子どもを通わせる親自身のレベルが問われてきます。親の文化・教養レベルが子どもの将来を大きく左右する時代になっているのは間違いないようです。構造計算が偽造され、鉄筋が抜かれ、要求される耐震強度の20〜30%しかないマンションやビルでも、それらしく建っていて地震さえ来なければ大丈夫だと考えるのと同じではないでしょうか。要するに、英語力をつけることよりも、シャドウワークとして、選別の機能を果たせれば良いということなのでしょう。学力低下が進行するのは当然です。このことは、他教科にもあてはまります。例えば、高校入試の数学。なぜ試験時間が45分なのでしょう。これでは問題パターンを暗記した、事務処理能力に長けた生徒が高得点を挙げるのはわかりきったことです。数学的な発想を持った人間ではなく、事務処理能力に長けた官僚的な発想しかできない人間が、これからの時代には必要なのでしょうか。数学と国語だけはせめて試験時間を90分にして欲しいものです。そして、粘り強い思考力と分析力、深い読解力と表現力を持った生徒が充分に実力を発揮できる問題を作るべきです。私は塾で教えながらいつも思うのですが、知的能力は、一つの問題をどれくらい継続して考えることができるかに比例しています。試験時間を延ばすくらいのことは、少子化の今、やろうと思えばすぐできる改革です。それとも、「やりたいのだが、日程等の関係で無理だ」と、これまた事務的・官僚的な言い訳をするのでしょうか。

  話をこの通信8のタイトルに戻しましょう。先日、他の塾に通っている生徒が体験入塾にやってきました。不定詞の説明を、前置詞 to が持っている基本のイメージから始めたのですが、その生徒は不可解な顔をしていました。文例を20余り板書し、それを私が作ったカードに分類しながら書き込むように指示しました。その中に、Why do you want to leave school?(どうして学校をやめたいの?)という文や、Why do you want to be a doctor?(なぜ医師になりたいの?)というわかりやすい文があったのですが、授業が終わった後、その生徒が私のところに来て、「to leave school は不定詞の名詞的用法で want の目的語ですよね。なら、to be a doctor も不定詞の名詞的用法で want の目的語になると解釈していいのですか?」と質問したのです。私は数十年前にタイムスリップしたような気になり、「ああ、シーラカンスは生きていた!」と思わずこころの中で叫んだのです。文法用語が使えることで、レベルの高い英語を勉強しているのだと信じているこの生徒の自信満々の態度が心配になりました。文法用語が使えることと英語力は関係ないのだということを、具体例を使って説明することもできたのですが、やめにしました。この生徒はきっとまじめで向学心のある生徒なのです。サッカーのコーチがサッカーの本質をいくら説いて聞かせたところで、選手の力はつかないのだという単純な真理に、どこかで気づくに違いないと思ったからです。それにしてもこの生徒を教えている先生はどんな先生なのでしょう。文法用語を教える暇があったら、be 動詞が前置詞や副詞と一体となって作り出す自在で豊かな言葉の世界を示すことができるのに、と残念に思いました。学校ではこんな文法用語は教えていないはずです。彼女はきっと塾で文法用語を覚えたのでしょう。現に大手の進学塾が使っているテキストの不定詞のページを開くと、相変わらず名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の説明が載っています。しかも一つ一つの文例は何の関連もない現実離れした内容のものです。こういったテキストでいくら勉強しても、その場限りの細切れの知識がつくだけで、すぐに忘れてしまいます。ましてや英語の運用能力や読解力は決してつきません。40年前、私が中学生だった頃の内容とほとんど同じです。これがシーラカンスでなくて何なのでしょう。

  最近、中学や高校の英語の先生方と勉強する機会があるのですが、英語力に疑問符をつけたくなることが多いのです。ましてや、入試問題の解き方だけを解説していればよい塾や予備校の英語教師の実力は言わずもがなです。そこで提案ですが、学校・予備校・塾を問わず、すべての英語教師にセンター試験とTOEICの受験を義務づけてはどうでしょう。そして結果を公表するのです。学校をランク付けするのがはやっているようですが、まず教師をランク付けするのが筋です。友人の英語教師に話したら、「う〜ん」と唸って「無理だろう。教師が反対するに決まっている」と言うのです。それなら、ささやかな試みとして私が英語教師を採点しようと思い立ちました。身の程をわきまえない無謀な試みとしてお叱りを受けるのを覚悟でやってみたいと思います。生徒諸君は以下の問題を学校や特に塾の先生にどしどし質問してみてください。短い和訳の問題と、新聞の投書欄の日本語を英訳する問題です。答案をファックスで送っていただければ、以下の基準で評価して返信します。FAX番号は塾のTELと同じです。

 ■A判定:素晴らしい先生です。英語の発想を完全に身に付けている実力派の先生です。日本語訳も、膨大な読書量がしのばれ、私も習いたいほどです。時間が許す限り、是非続けてこの先生に習いましょう。
 
 ■B判定:英語力はpassableですが、もっと日本語力をつけるための勉強が必要です。良心派の先生でこれからの努力できっと素晴らしい先生になれると思います。あなたがどしどし質問することで先生もきっと実力をつけていかれることでしょう。 
 
 ■C判定:英語力・日本語力ともにお話になりません。こういう人がなぜ英語教師をしているのか信じがたいものがあります。あなたがこの先生から習っているのが英語だと信じているのなら、その信心を邪魔するつもりはありませんが、あなたは自分自身の知的なレベルを根本から疑う必要があります。先生の人格が素晴らしいと言うのであれば、どうぞこれからも習い続けて下さい。私が口を差し挟めることではありません。
 
 [和訳問題]

 ■問題A: I know little enough of myself : I know nothing of others.

これを、「私は自分のことは何も知らない」と訳した人に、あなたは記憶喪失なのですかと言って、にらまれました。

 ■問題B: This is only one of several methods, and I do not venture to suggest that others are not better.

「これはいくつかある方法の中でただ一つのもので・・」と訳した先生に、ということは「実際上これが唯一最善の方法なのだと」解釈されますが、それで後半と矛盾しませんかと、そっとたずねたら、「先生の言ってる意味が分かりません」と怪訝な顔をされました。こういった先生に「英語の読解力はどうしたらつくのですか」と質問してみましょう。「そうだな、まず単語力を増やして、後は論理的な思考ができるようにすることだな。ま、本人の頭のよさも関係しているから一概には言えないけどね。要するに読書だよ、読書!」などという返事が返ってくるかもしれません。

 ■問題C: Rhythm is an effect of sound, and as such appeals to the senses rather than to the mind.

as such は「このような、そのような」だと思い込んでいる人の頭の固さをほぐす良い薬があったら教えてください。

 ■問題D: A thing that nobody believes cannot be proved too often.
 
「誰も信じないことが、そんなに証明できるものではない」と書いて私に見せてくれた人には「誰にも信じられないことは、いくら証明したって足りるものではない。」という私の訳をみせましたが、違いが分からないようでした。

 ■問題E: In ancient times any kind of political power would have meant that one would get himself quickly executed.
 
素直に読めば、「古代には、何か政治的な権力を持てば、たちまち処刑されるという結果になった」と読めるはずですが、「古代においては、どんな種類であれ政治権力の働くところ、自らをすみやかに処刑してしまうことを意味したようである」というような誤訳を見せられると、「自殺してどうするんですか」と聞く前に、能動と受動の区別は難しいのだなあと改めて思ってしまいます。短文でこのレベルだと、長文になったときに犯す誤訳はどれほどのものでしょうか。

[英訳問題]

 ■問題F : 近所にホタルの名所があります。連日、見物客が集まりますが、そのほとんどの人が争うようにしてホタルをとるのです。なかには網でごっそりとって持って帰る人もいます。子どもさんに見せたい気持ちはわからないでもありませんが、心ないやり方と思います。来年、また次の年を考えて、ホタルの繁殖地を守るゆとりを持って下さい。(朝日新聞より)

試訳を一文だけ書いてみます。In my neighborhood, there is a place noted for its fireflies, which is visited by many people every evening during this time of year.

 ■問題G: きょうはグチを言わせてくださいな。私には小三を頭に、四歳に二歳と三人の子どもがいますが、子育てですっかり自分がすり減ったみたいなんです。つるつるしていた顔もつやがうせ、シラウオのように美しかった手の指も、太くなってカサカサ。昨日、十年ぶりに会ったお友達は、まだ独身でさっそうとしていました。「あんたやつれたわね」と彼女に言われたときは、一度でミジメになりました。あー、なんで結婚なんかしたんだろう?どうして三人も子どもを産んだのか?考えただけでとてもイヤー。(西日本新聞より)

私なら、Let me complain about something today. ではなく、I feel frustrated at myself. Let me get it out of my system today. で始めます。