未来塾通信 5


上からのロープと下からのロープ

■塾の生徒で、今は社会人になっているO君(38歳)は学生時代山岳部に入り、夏はもっぱらロッククライミングに凝っていたそうです。そもそも、彼が信州大学に進学したのは、私に勧められていくつかの大学を見学に行ったのがきっかけでした。抜群の学力と意志の強さを持っていて、将来が楽しみな生徒でした。おそらく、全国どこの大学を受験しても合格できたでしょう。センター試験で英語と数学が満点だったのですから。その彼が雄大なアルプスの眺めに感動して、志望校を信州大学一本に絞ってしまいました。私も彼の「不純な動機」による志望校選択を積極的に支持しました。大学がどこであれ、彼なら人生を自分の力で切り開いていけるだけの精神的な豊かさと強さを持っていると判断したからです。地方で塾をやっていると、受験情報に汚染されていない、知的な野性味を持っている生徒に出会うことがあります。それは私の大きな喜びの一つです。学習意欲とコミュニケーション能力がないのに、高偏差値の大学に受かることだけを考えているような生徒の対極に、彼はいました。その彼が、ロッククライミングの面白さを教えてくれました。少し登ってはハーケンを岩に打ち込み、それにロープを引っ掛ける。それを延々と繰り返すのです。目もくらむ断崖絶壁で、恐怖心と戦いながらの作業。自分が打ち込んだハーケンとロープだけが頼りです。自分と向き合い、体力の限界と精神力が試される。打ち込んだハーケンが抜けて落下しても、他人のせいにはできません。実際、何度か落下したことがあったそうです。しかし、ハーケンがすべて抜けることはありません。ロープに宙吊りになっても、また岩にとりつき、そこから再スタートです。そうやって登頂したときの喜び。それは彼の生き方そのものを語っているようでした。彼は、誰かが上から垂らしてくれたロープを頼りに登ることをしない人間です。なぜなら、それはもはやロッククライミングの名に値しないからです。

 しかし、私たちの社会では、そもそもロッククライミングに値しないものを、疑似体験によって、あたかも本物の体験であるかのように錯覚させるシステムが出来上がっています。教育の世界では、何歳くらいから、どの教材をどのように勉強し、どの学校に行かせればいいのか、子どもが挫折しそうになったら(挫折させろ!)どんな言葉をかけて、どのように励まし、どうやって立ち直らせるか等々、実に事細かな指示がなされるのです。子どもに対しても大人に対しても。そういったシステムが教育界全体を覆っています。誰が垂らしているかわからない上からのロープを素直に信じて、自分の人生ではない誰でもいい誰かの人生を生きるように仕向けられる。疑似体験を本物の人生だと錯覚させられる。しかし、いったい誰が、どんな根拠で指示を出しているのでしょう?これから先の世の中がどうなるかはっきり見えているのでしょうか。せいぜい、木になったリンゴがどこに落下するか予測するレベルなのです。ところが、私たちの生きている世界は複雑系の世界です。様々な要因が複雑に絡まりあって、世の中がどう動いていくか誰も予測できない。強風にあおられた木の葉がどこに落下するか予測できないのと同じです。そんな世界に生きる子どもたちに(大人も同様ですが)必要とされる資質は何か。上から垂らしてもらったロープに頼って生きることは、自分の人生を生きることにはならないのだと認識できる批判精神と、状況を事実に基づいて冷静に分析できる勇気と、落下してもそこから再スタートして登頂しようとする不屈の精神力ではないでしょうか。

 以前、ロンドンの街角でバスを待っていたとき、隣にいた20歳くらいの女性がとても素敵なショルダーバッグをもっていたので(横顔があまりに美しかったせいもありますが)、つい、「素敵なバッグですね」と声をかけてしまいました。(知らない女性に声をかけたのは私の人生でこれが最初で最後です)「サンキュー」と言って、驚いて振り返った様子が大人びていて何とも魅力的でした。「祖母が使っていたバッグよ。すごく気に入って大切に使っているの。ブランド物じゃないけど・・・」私はしばらく考え込んでしまいました。日本の20歳の女性が、祖母からもらったバッグを大切に使っていることはあるのだろうか。それが何よりも素敵なおしゃれだと思えるような魅力的な女性はいるのだろうか。ルイ・ヴィトンのバッグを若い女性が精神安定剤のように持ち歩いている日本の風景を思い出し、私は頭を振りました。冷たい風が体の中を吹き抜けていました。ファッションほど手軽に個性を演出できるものはありません。しかし、ファッションほど精神性を表すものもないのです。日本ではいったい何冊のファッション雑誌が発行されているのでしょうか。創刊と廃刊のあわただしさ。男性雑誌も加わって、おしゃれを指南する上から垂らされたロープは数え切れません。街を行く若者は個性を表現しているつもりでも、驚くほど画一的です。集団で催眠術にかかっているのではないかと思えるほどです。せめて、ファッションくらいはその人の生き方をさりげなく表現しているものであって欲しい。ロンドンの街角で出会ったあの女性が懐かしくてなりません。古びた素敵なバッグを大切にしていた彼女の生き方が何よりも貴重に思えるからです。